丹波国分寺跡の亀岡の名木4本
国指定史跡になっている奈良時代に建立された寺跡です。遠方から見る社叢にまず目を惹かれ、木々たちがこの場所を守っているかのようでした。目的はオハツキイチョウでしたが、「亀岡の名木」としてイチョウだけでなく、ムクノキ、カゴノキ、イヌマキも指定されていて、4本の木が元気にここを守っています。
●京都府亀岡市
●亀岡の名木
●撮影年月日 2023年1月29日

葉に実をつけるオハツキイチョウです。幹周4.3m 樹高22m(1996測定 『亀岡の名木』P10)
「京都の自然二百選」「天上の木十選」にも選ばれています。

撫でて乳にふれると母乳がよく出ると伝えられ、「チチイチョウ」と呼ばれて信仰されました。

ムクノキ。幹周6.36m 樹高25m(1996測定 『亀岡の名木』P18)

カゴノキ。幹周3.3m 樹高13m(1996測定 『亀岡の名木』P16)
枝葉に覆われ見えませんが、根元には小さい祠が祀られています。天保時代(562~585)の書『盥魚庭落葉(たらいのうおにわのおちば)の国分寺の境内図に、オハツキイチョウと並んでカゴノキが描かれています。

こちらも枝葉がびっしりのイヌマキ。幹周2.2m 樹高8m(1996測定 『亀岡の名木』P108)

近くには、創建当時の七重塔の礎石が残っています。

丹波国分寺跡
奈良時代、聖武天皇の発願によって全国に建立された国分寺の一つです。発掘調査で出土した瓦などから9世紀初頭までに伽藍が整えられたと考えられている。戦国時代、明智光秀の進軍の兵火により焼失。境内の一部は国の史跡に指定されています。
本堂は安永3年(1774)に再建されました。講堂もこの辺りにあったそうです。


住 所 京都府亀岡市千歳町国分桜久保25
交 通 JR「亀岡駅」北口よりバス➅「JR千代川駅」行き乗車「国分」下車約700m
丹波国分寺跡MAP
●京都府亀岡市
●亀岡の名木
●撮影年月日 2023年1月29日

葉に実をつけるオハツキイチョウです。幹周4.3m 樹高22m(1996測定 『亀岡の名木』P10)
「京都の自然二百選」「天上の木十選」にも選ばれています。

撫でて乳にふれると母乳がよく出ると伝えられ、「チチイチョウ」と呼ばれて信仰されました。

ムクノキ。幹周6.36m 樹高25m(1996測定 『亀岡の名木』P18)

カゴノキ。幹周3.3m 樹高13m(1996測定 『亀岡の名木』P16)
枝葉に覆われ見えませんが、根元には小さい祠が祀られています。天保時代(562~585)の書『盥魚庭落葉(たらいのうおにわのおちば)の国分寺の境内図に、オハツキイチョウと並んでカゴノキが描かれています。

こちらも枝葉がびっしりのイヌマキ。幹周2.2m 樹高8m(1996測定 『亀岡の名木』P108)

近くには、創建当時の七重塔の礎石が残っています。

丹波国分寺跡
奈良時代、聖武天皇の発願によって全国に建立された国分寺の一つです。発掘調査で出土した瓦などから9世紀初頭までに伽藍が整えられたと考えられている。戦国時代、明智光秀の進軍の兵火により焼失。境内の一部は国の史跡に指定されています。
本堂は安永3年(1774)に再建されました。講堂もこの辺りにあったそうです。


住 所 京都府亀岡市千歳町国分桜久保25
交 通 JR「亀岡駅」北口よりバス➅「JR千代川駅」行き乗車「国分」下車約700m
丹波国分寺跡MAP
新熊野神社の影向の大樟
市街地にこんな巨樹が!と驚いたクスノキで、新熊野神社の道路寄りの盛土上に立っています。熊野神社創建(1160年)の折、紀州熊野より運ばれた後、白川法皇が御手植えの樟との伝承もありますが、応仁の乱(1467年)で荒廃した後のものとも考えられています。影向(神仏が現れる)の大樟として、自然神信仰の象徴となっています。
●京都府京都市東山区
●京都市指定天然記念物
※京都市情報館HP 文化財保護>文化財の保護>京都市内の文化財件数と京都市指定・登録文化財>
●撮影年月日 2023年1月28日
樹冠は東西方向23.5m、南北方向35mもあります(京都市情報館HPより)。



幹を囲んで回廊があり、幹をぐるっと回れます。
成長をし続ける姿に「樟大権現」「樟龍弁財天」として信仰されています。

新熊野神社
熊野信仰の盛んな平安時代末期の永暦元年(1160)後白河法皇によって創建されました。京都三熊野のひとつ。現在の本殿は、寛文13年(1673)聖護院道寛親王が再建した現在の本殿は、市指定重要文化財です。
観阿弥・世阿弥父子の猿楽が披露された場所が新熊野神社で、「能楽発祥の地」と言われています。
屋根には、御神鳥の八咫烏

住 所 京都市東山区今熊野椥ノ森町42
交 通 JR奈良線・京阪本線「東福寺駅」より約650m
新熊野神社MAP
●京都府京都市東山区
●京都市指定天然記念物
※(2020) | |||
樹高 | 21.9m | ||
幹周 | 6.58m | ||
推定樹齢 | 伝承800余年 |
●撮影年月日 2023年1月28日
樹冠は東西方向23.5m、南北方向35mもあります(京都市情報館HPより)。



幹を囲んで回廊があり、幹をぐるっと回れます。
成長をし続ける姿に「樟大権現」「樟龍弁財天」として信仰されています。

新熊野神社
熊野信仰の盛んな平安時代末期の永暦元年(1160)後白河法皇によって創建されました。京都三熊野のひとつ。現在の本殿は、寛文13年(1673)聖護院道寛親王が再建した現在の本殿は、市指定重要文化財です。
観阿弥・世阿弥父子の猿楽が披露された場所が新熊野神社で、「能楽発祥の地」と言われています。
屋根には、御神鳥の八咫烏

住 所 京都市東山区今熊野椥ノ森町42
交 通 JR奈良線・京阪本線「東福寺駅」より約650m
新熊野神社MAP
山住神社の磐座
山住神社は、背後の山を神々が鎮まる神南備(かむなび)山とし、神々の降臨する磐座(石座)と神を拝む拝殿だけの古代信仰の残る場です。平安時代に編纂された歴史書『日本三代実録』に、「山城国正六位上」の石座の神が元慶4年(880)に「従五位下」を授けられたとあり、それ以前より神が祀られていたことを表しています。
●京都府京都市左京区
●撮影年月日 2023年1月28日
境内の石段を上がると屋根だけの拝殿があり、本殿はありません。拝殿より先は立ち入り禁止。祠や磐座には近づけません。

御神体の立石が祀られている祠、その背後が神々が降り立つ磐座です。
磐座は、赤道付近の海底に2億年~1億数千万年前に堆積したプランクトンでできた チャートと呼ばれる石で、海洋プレートの移動で日本列島に来て、陸起源の粘土の上に落ち、地殻変動や海の後退によって地上に現れたものと考えられています。

祠の手前、右側は人工の石垣になっていますが、左側は岩の上に根付いたツガの根が斜面を覆っています。



山住神社
天禄2年(971)にこの地に石座明神が鎮座しましたが、大雲寺鎮守の神として現在の石座神社に遷座されてからは山住の神となり、石座神社の御旅所となっています。

住 所 京都市左京区岩倉西河原町
交 通 叡山電鉄鞍馬線「岩倉駅」より約550m
山住神社MAP
●京都府京都市左京区
●撮影年月日 2023年1月28日
境内の石段を上がると屋根だけの拝殿があり、本殿はありません。拝殿より先は立ち入り禁止。祠や磐座には近づけません。

御神体の立石が祀られている祠、その背後が神々が降り立つ磐座です。
磐座は、赤道付近の海底に2億年~1億数千万年前に堆積したプランクトンでできた チャートと呼ばれる石で、海洋プレートの移動で日本列島に来て、陸起源の粘土の上に落ち、地殻変動や海の後退によって地上に現れたものと考えられています。

祠の手前、右側は人工の石垣になっていますが、左側は岩の上に根付いたツガの根が斜面を覆っています。



山住神社
天禄2年(971)にこの地に石座明神が鎮座しましたが、大雲寺鎮守の神として現在の石座神社に遷座されてからは山住の神となり、石座神社の御旅所となっています。

住 所 京都市左京区岩倉西河原町
交 通 叡山電鉄鞍馬線「岩倉駅」より約550m
山住神社MAP
銀杏岡(いちょうおか)のイチョウ
雄木ですが一部の枝が実をつける両性樹で、学術的にも貴重であったことから昭和6年(1931)に国の天然記念物に指定されました。しかし昭和47年(1972)の台風で大枝が折れ大きく損傷したため、翌年に指定解除になりました。当時の東和町はイチョウを町指定天然記念物にし、その後合併した花巻市に引き継がれました。
樹齢500年以上と推定される巨樹です。800年くらい前に和尚さんが高いところに上がって、枕を土に立てて気持ちよく寝てしまい、暗くなって慌てて降りる時に枕を忘れ、それが大きなイチョウになったという昔話があります。(『猿ヶ石川に伝わる昔語り』)
●岩手県花巻市
●花巻市指定天然記念物
●撮影年月日 2022年11月17日

平成12年(2000)にも強風で大枝が折れました。上を見ると屋根が見えます。損傷部保護の対策がとられています。

乳根が多いです。古くから「乳イチョウ」として多くの参拝者があったそうです。岩手日報夕刊「銘木風土記」(1956)や『猿ヶ石川に伝わる昔語り』によると、乳根の皮を削って煎じて飲むと乳が出るという信仰がありました。
国指定文化財になって乳根の皮を削ることができなくなりましたが、皮の代わりにお供えした米をカユにして食べれば同じご利益がありました。

現在は、根元に建つ小社(銀杏岡神社)が当時の名残りをとどめています。小社の背後に石がいくつも転がっていたのですが、市の文化財課の方によると、以前に建っていた銀杏岡神社の礎石の可能性があるのではということです。

住 所 岩手県花巻市東和町東晴山5-53
交 通 JR釜石線「晴山駅」より約1.7㎞
銀杏岡のイチョウMAP
参考
岩手日報夕刊「銘木風土記⑰」(昭和31年(1956)7月3日)
『東和の民話集(第二集)猿ヶ石川に伝わる昔語り』(東和の民話を保存する会 1981)
樹齢500年以上と推定される巨樹です。800年くらい前に和尚さんが高いところに上がって、枕を土に立てて気持ちよく寝てしまい、暗くなって慌てて降りる時に枕を忘れ、それが大きなイチョウになったという昔話があります。(『猿ヶ石川に伝わる昔語り』)
●岩手県花巻市
●花巻市指定天然記念物
実測(2022) | |||
樹高 | 約36m | ||
幹周 | 約9.64m | ||
推定樹齢 |
●撮影年月日 2022年11月17日

平成12年(2000)にも強風で大枝が折れました。上を見ると屋根が見えます。損傷部保護の対策がとられています。

乳根が多いです。古くから「乳イチョウ」として多くの参拝者があったそうです。岩手日報夕刊「銘木風土記」(1956)や『猿ヶ石川に伝わる昔語り』によると、乳根の皮を削って煎じて飲むと乳が出るという信仰がありました。
国指定文化財になって乳根の皮を削ることができなくなりましたが、皮の代わりにお供えした米をカユにして食べれば同じご利益がありました。

現在は、根元に建つ小社(銀杏岡神社)が当時の名残りをとどめています。小社の背後に石がいくつも転がっていたのですが、市の文化財課の方によると、以前に建っていた銀杏岡神社の礎石の可能性があるのではということです。

住 所 岩手県花巻市東和町東晴山5-53
交 通 JR釜石線「晴山駅」より約1.7㎞
銀杏岡のイチョウMAP
参考
岩手日報夕刊「銘木風土記⑰」(昭和31年(1956)7月3日)
『東和の民話集(第二集)猿ヶ石川に伝わる昔語り』(東和の民話を保存する会 1981)
諏訪神社(血洗島)のケヤキ
下手計の鹿島神社と同じく渋沢栄一と所縁の深い諏訪神社に立つケヤキです。根張りよく、どっしりした幹から数本の大枝が伸びて貫禄があります。
●埼玉県深谷市
●周辺巨樹 八基小学校のクスノキ(約850m) 下手計 鹿島神社の大欅根株(約1.2㎞)
●撮影年月日 2023年1月16日
幹周実測約5.3m 樹高約19m



諏訪神社(血洗島)
古来より武将の崇敬が厚い血洗島の鎮守社です。渋沢栄一は帰郷すると、まずこの舎に参拝したということです。御祭神はタケミナカタノミコト。元亀2年(1571)から始まったと伝わる獅子舞は市の無形民俗文化財です。
拝殿の「諏訪神社」の扁額は、渋沢栄一の書です。

住 所 埼玉県深谷市血洗島117-6
交 通 JR高崎線「岡部駅」より約3.9㎞
諏訪神社(血洗島)MAP
●埼玉県深谷市
●周辺巨樹 八基小学校のクスノキ(約850m) 下手計 鹿島神社の大欅根株(約1.2㎞)
●撮影年月日 2023年1月16日
幹周実測約5.3m 樹高約19m



諏訪神社(血洗島)
古来より武将の崇敬が厚い血洗島の鎮守社です。渋沢栄一は帰郷すると、まずこの舎に参拝したということです。御祭神はタケミナカタノミコト。元亀2年(1571)から始まったと伝わる獅子舞は市の無形民俗文化財です。
拝殿の「諏訪神社」の扁額は、渋沢栄一の書です。

住 所 埼玉県深谷市血洗島117-6
交 通 JR高崎線「岡部駅」より約3.9㎞
諏訪神社(血洗島)MAP
下手計(しもてばか)鹿島神社の大欅根株
枯れて根元だけになってしまった大欅、大欅の真下は水が湧き出る場所だったようで、根株の真中に井戸が残っています。かつて湧いた水は、設けた共同風呂に使われました。渋沢栄一の母、栄はこれを汲んで、らい患者の背を流したと伝えられています。
●埼玉県深谷市
●周辺巨樹 八基小学校のクスノキ(約400m)
●撮影年月日 2023年1月16日


空洞の幹の中は井戸の跡。

囲いの中は、次の世代のケヤキが将来の神木を引き継ぐかのように育っています。

鹿島神社
創建は不明ですが、天慶年代(10世紀)平将門追討の際、源義経の臣がこの地に陣し、当社を祀ったと伝えられています。御祭神はタケミカヅチノミコト。
拝殿の「鹿島神社」の扁額は、渋沢栄一の書です。境内には渋沢栄一の師である尾高惇忠の偉業をたたえる藍香尾高翁 頌徳碑が明治41年(1908)に建立されました。

住 所 埼玉県深谷市下手計1145
交 通 JR高崎線「深谷駅」北口より深谷市コミュニティバス「くるりん」北部シャトル便「渋沢栄一記念館」行き乗車「壁ヶ谷戸自治会館」下車約450m
コミュニティバス「くるりん」情報
下手計 鹿島神社MAP
●埼玉県深谷市
●周辺巨樹 八基小学校のクスノキ(約400m)
●撮影年月日 2023年1月16日


空洞の幹の中は井戸の跡。

囲いの中は、次の世代のケヤキが将来の神木を引き継ぐかのように育っています。

鹿島神社
創建は不明ですが、天慶年代(10世紀)平将門追討の際、源義経の臣がこの地に陣し、当社を祀ったと伝えられています。御祭神はタケミカヅチノミコト。
拝殿の「鹿島神社」の扁額は、渋沢栄一の書です。境内には渋沢栄一の師である尾高惇忠の偉業をたたえる藍香尾高翁 頌徳碑が明治41年(1908)に建立されました。

住 所 埼玉県深谷市下手計1145
交 通 JR高崎線「深谷駅」北口より深谷市コミュニティバス「くるりん」北部シャトル便「渋沢栄一記念館」行き乗車「壁ヶ谷戸自治会館」下車約450m
コミュニティバス「くるりん」情報
下手計 鹿島神社MAP
八基(やつもと)小学校のクスノキ
偉人渋沢栄一生誕の地にある八基小学校の北側に、青淵(せいえん)公園を眺めるようにクスノキがあります。大河ドラマ「青天を衝け」の血洗島の風景に「ひこばえの木」というシンボルツリーのような大きな木が出ていました。撮影場所は群馬安中市でしたが、深谷では八基小学校のクスノキがモデルと言われています。確かにそうとしか思えないような存在感のあるクスノキです。渋沢栄一記念館や渋沢栄一生地(中の家)が近いので観光客も多く、この立派なクスノキを見に訪れる人もいます。
●埼玉県深谷市
●深谷市保存樹木
●周辺巨樹 下手計鹿島神社の大欅根株(約400m) 諏訪神社(血洗島)のケヤキ(約850m)
●撮影年月日 2023年1月16日


2本の合体木です。根元にある市が設置した看板内容が外からでも見えるように、内容をコピーしてフェンスに取り付けてあります。

八基小学校
明治6年(1873)横瀬小学校と手計小学校開校、明治20年(1887)4月、両学校を統合して清水川小学校を血洗島に新設、明治29年(1896)12月移転開校し、12月7日を開校記念日に。
渋沢栄一から物心両面にわたる援助をいただき、地域住民から「おらが学校」として大事にされている小学校です。校歌は渋沢栄一の長女穂積歌子さんが大正4年(1915)に作詞しています。渋沢栄一の心を受け継ぐふるさと教育を推進し、学年ごとに藍染や蚕の飼育、渋沢栄一記念館ガイドなど多様なふるさと教育を実践しています。
八基小学校の「八基」はかつてあった村の名です。8つの小さい村を統合することになり、村の名前を決める時、「うちの村の名前を残して欲しい」と争いが起きました。渋沢栄一が仲裁に入り、「一つ一つの村8つの村を基にしたらどうか」と提案し「八基村」となったということです。
住 所 埼玉県深谷市下手計1300
交 通 JR高崎線「深谷駅」北口より深谷市コミュニティバス「くるりん」北部シャトル便「渋沢栄一記念館」行き乗車終点下車約170m
コミュニティバス「くるりん」情報
東武伊勢崎線「境町駅」南口より境島村シャトルバス「島村蚕のふるさと公園」行き乗車「立作」下車約1.4㎞
堺島村シャトルバス情報
八基小学校MAP
●埼玉県深谷市
●深谷市保存樹木
案内板(1984) | 実測(2022) | ||
樹高 | 約21m | ||
幹周 | 4.5m | 5.91m | |
推定樹齢 | 100年余り |
●周辺巨樹 下手計鹿島神社の大欅根株(約400m) 諏訪神社(血洗島)のケヤキ(約850m)
●撮影年月日 2023年1月16日


2本の合体木です。根元にある市が設置した看板内容が外からでも見えるように、内容をコピーしてフェンスに取り付けてあります。

八基小学校
明治6年(1873)横瀬小学校と手計小学校開校、明治20年(1887)4月、両学校を統合して清水川小学校を血洗島に新設、明治29年(1896)12月移転開校し、12月7日を開校記念日に。
渋沢栄一から物心両面にわたる援助をいただき、地域住民から「おらが学校」として大事にされている小学校です。校歌は渋沢栄一の長女穂積歌子さんが大正4年(1915)に作詞しています。渋沢栄一の心を受け継ぐふるさと教育を推進し、学年ごとに藍染や蚕の飼育、渋沢栄一記念館ガイドなど多様なふるさと教育を実践しています。
八基小学校の「八基」はかつてあった村の名です。8つの小さい村を統合することになり、村の名前を決める時、「うちの村の名前を残して欲しい」と争いが起きました。渋沢栄一が仲裁に入り、「一つ一つの村8つの村を基にしたらどうか」と提案し「八基村」となったということです。
住 所 埼玉県深谷市下手計1300
交 通 JR高崎線「深谷駅」北口より深谷市コミュニティバス「くるりん」北部シャトル便「渋沢栄一記念館」行き乗車終点下車約170m
コミュニティバス「くるりん」情報
東武伊勢崎線「境町駅」南口より境島村シャトルバス「島村蚕のふるさと公園」行き乗車「立作」下車約1.4㎞
堺島村シャトルバス情報
八基小学校MAP
丹内山神社の胎内石
本殿真裏にある1,300年以前より御神体として祀られているアラハバキ大神の巨石(胎内石)です。アラハバキ信仰は、元からいる地主神で、古代律令国家(大和朝廷)が蝦夷(朝廷側の侵攻・支配を拒否した人々を朝廷側がつけた呼称)をする以前より存在した蝦夷の信仰です。アラハバキが何の神であるのか諸説ありますが、この巨石は胎内石と呼ばれ安産の御利益があるので女神信仰になります。
●岩手県花巻市
●花巻市指定文化財
●撮影年月日 2022年11月17日
幅11.6m 置行9.3m 高さ4.5m

巨石が女性神とすると、その上に立つ木は、神が降りる神籬であり、男性の象徴であるともいえます。神を木通じて石に降り立たせ、新たな生命を祈る・・・世界は命に満ち溢れていることを現代人よりも知っていた原初の日本人の祈り方。

この隙間を、壁面に触れぬようくぐりぬけると安産の願いが叶えられると伝えられていますが、大人には難しい大きさの隙間です。
現在は安産だけでなく、後付けされたのでしょうか、受験・就職・家内安全・交通安全・商売繁盛など色々な願いが叶うとされています。

元々は蝦夷の地でしたが、大和朝廷が蝦夷に勝利し寺を建て、明治時代の神仏分離で丹内山神社になりました。しかし蝦夷の信仰していたアラハバキの御神体も信仰もそのまま残りました。なぜ残されたのか。

こんな大きい岩をいくつも、どうやって置いたのか。


丹内山神社
創建は約1,200年前、上古地方開拓の祖神、多邇知比古神(たにちひこのかみ)を祭神として祀り、承和年間(834-847)に空海の弟子日弘が不動尊像を安置し「大聖寺不動丹内大権現」と称しました。平安後期は平泉の藤原氏、中世には安俵小原氏、近世は盛岡南部氏の郷社として厚く加護されてきたと伝えられています。明治時代初めの排仏毀釈により丹内山神社に改称されました。
現存の棟札によると、本殿は文化7年(1810)に再建。県内の社寺建造物の内では彫刻装飾優位の建物で、県指定有形文化財。

住 所 岩手県花巻市東和町谷内2区303
交 通 JR釜石線「晴山駅」より約3.3㎞
丹内山神社MAP
●岩手県花巻市
●花巻市指定文化財
●撮影年月日 2022年11月17日
幅11.6m 置行9.3m 高さ4.5m

巨石が女性神とすると、その上に立つ木は、神が降りる神籬であり、男性の象徴であるともいえます。神を木通じて石に降り立たせ、新たな生命を祈る・・・世界は命に満ち溢れていることを現代人よりも知っていた原初の日本人の祈り方。

この隙間を、壁面に触れぬようくぐりぬけると安産の願いが叶えられると伝えられていますが、大人には難しい大きさの隙間です。
現在は安産だけでなく、後付けされたのでしょうか、受験・就職・家内安全・交通安全・商売繁盛など色々な願いが叶うとされています。

元々は蝦夷の地でしたが、大和朝廷が蝦夷に勝利し寺を建て、明治時代の神仏分離で丹内山神社になりました。しかし蝦夷の信仰していたアラハバキの御神体も信仰もそのまま残りました。なぜ残されたのか。

こんな大きい岩をいくつも、どうやって置いたのか。


丹内山神社
創建は約1,200年前、上古地方開拓の祖神、多邇知比古神(たにちひこのかみ)を祭神として祀り、承和年間(834-847)に空海の弟子日弘が不動尊像を安置し「大聖寺不動丹内大権現」と称しました。平安後期は平泉の藤原氏、中世には安俵小原氏、近世は盛岡南部氏の郷社として厚く加護されてきたと伝えられています。明治時代初めの排仏毀釈により丹内山神社に改称されました。
現存の棟札によると、本殿は文化7年(1810)に再建。県内の社寺建造物の内では彫刻装飾優位の建物で、県指定有形文化財。

住 所 岩手県花巻市東和町谷内2区303
交 通 JR釜石線「晴山駅」より約3.3㎞
丹内山神社MAP
御神木爺杉の根株
樹齢2000年と伝えられる御神木爺杉は、神社の創建以前からアラハバキ神の巨石と共にありました。大正2年(1913)延焼により焼失し、市の指定文化財として根株が保存されています。丹内山神社七不思議のその七「この杉の幹に桐の木が生えていた」ということです。
●岩手県花巻市
●花巻市指定文化財
●撮影年月日 2022年11月17日

この場所に根付いていたというより、どこかから運んだようにも見え、もしそうとしたら元はどこに生えていたのか気になります。



本殿真裏にある1,300年以前より御神体として祀られているアラハバキ大神の巨石(胎内石)。上には木が生えています。アラハバキ信仰は諸説ありますが、この胎内石は安産のご利益があるので女神信仰、すると石の上に立つ木は、神が降りる神籬であり、男性の象徴であるともいえます。高くそびえ立っていた爺杉も神聖な木としてアラハバキ信仰を守ってきたのかもしれません。

舞踊殿の脇に立つ御神木イチョウ。丹内山神社その六「このイチョウの葉は、どんな強風でも境内の外に飛び散らないと伝えられています。」
幹周3.82m 樹高35m 推定樹齢200~299年(環境省 1998)

丹内山神社
創建は約1,200年前、上古地方開拓の祖神、多邇知比古神(たにちひこのかみ)を祭神として祀り、承和年間(834-847)に空海の弟子日弘が不動尊像を安置し「大聖寺不動丹内大権現」と称しました。平安後期は平泉の藤原氏、中世には安俵小原氏、近世は盛岡南部氏の郷社として厚く加護されてきたと伝えられています。明治時代初めの排仏毀釈により丹内山神社に改称されました。
二の鳥居まで約1.1㎞離れた市指定文化財の一の鳥居。
嘉永元年(1848)建立、当時は盛岡藩で一番の杉の鳥居といわれました。高さ約6m 笠木幅約8.8m 柱直径0.46m

現存の棟札によると、本殿は文化7年(1810)に再建。県内の社寺建造物の内では彫刻装飾優位の建物で、県指定有形文化財。

右に牛、左に馬の駒形社

住 所 岩手県花巻市東和町谷内2区303
交 通 JR釜石線「晴山駅」より約3.3㎞
丹内山神社MAP
●岩手県花巻市
●花巻市指定文化財
案内板 | |||
樹高 | 約60m | ||
幹周 | 根元周り12.12m | ||
推定樹齢 | 2,000年 |
●撮影年月日 2022年11月17日

この場所に根付いていたというより、どこかから運んだようにも見え、もしそうとしたら元はどこに生えていたのか気になります。



本殿真裏にある1,300年以前より御神体として祀られているアラハバキ大神の巨石(胎内石)。上には木が生えています。アラハバキ信仰は諸説ありますが、この胎内石は安産のご利益があるので女神信仰、すると石の上に立つ木は、神が降りる神籬であり、男性の象徴であるともいえます。高くそびえ立っていた爺杉も神聖な木としてアラハバキ信仰を守ってきたのかもしれません。

舞踊殿の脇に立つ御神木イチョウ。丹内山神社その六「このイチョウの葉は、どんな強風でも境内の外に飛び散らないと伝えられています。」
幹周3.82m 樹高35m 推定樹齢200~299年(環境省 1998)

丹内山神社
創建は約1,200年前、上古地方開拓の祖神、多邇知比古神(たにちひこのかみ)を祭神として祀り、承和年間(834-847)に空海の弟子日弘が不動尊像を安置し「大聖寺不動丹内大権現」と称しました。平安後期は平泉の藤原氏、中世には安俵小原氏、近世は盛岡南部氏の郷社として厚く加護されてきたと伝えられています。明治時代初めの排仏毀釈により丹内山神社に改称されました。
二の鳥居まで約1.1㎞離れた市指定文化財の一の鳥居。
嘉永元年(1848)建立、当時は盛岡藩で一番の杉の鳥居といわれました。高さ約6m 笠木幅約8.8m 柱直径0.46m

現存の棟札によると、本殿は文化7年(1810)に再建。県内の社寺建造物の内では彫刻装飾優位の建物で、県指定有形文化財。

右に牛、左に馬の駒形社

住 所 岩手県花巻市東和町谷内2区303
交 通 JR釜石線「晴山駅」より約3.3㎞
丹内山神社MAP
仁兵殿(にへいど)のカツラ
すでに葉が散ったカツラの根元から斜めに育ったイロハモミジが紅葉で、ちょっと珍しい光景でした。根元は「桂の泉」と呼ばれる湧水が豊富に流れています。案内板には樹齢500年とありますが、そこまでの樹齢はなさそうです。豊富な水があるので元気そうです。
湧水は元々は「仁兵どの清水」と呼ばれ、旅人がこの清水で喉を潤しました。あまりのおいしさにカツラの枝を差し忘れたのが根付いて大木になったと伝えられています。
●岩手県北上市
●北上市保存樹木
●撮影年月日 2022年11月16日




住 所 岩手県北上市下江釣子14-33-1
交 通 JR北上線「藤根駅」より約1.7㎞
JR東北本線・北上線「北上駅」・北上線「江釣子駅前」よりバス横川目線「横川目」行き乗車「東大坊」下車約550m
仁兵殿のカツラMAP
湧水は元々は「仁兵どの清水」と呼ばれ、旅人がこの清水で喉を潤しました。あまりのおいしさにカツラの枝を差し忘れたのが根付いて大木になったと伝えられています。
●岩手県北上市
●北上市保存樹木
●撮影年月日 2022年11月16日




住 所 岩手県北上市下江釣子14-33-1
交 通 JR北上線「藤根駅」より約1.7㎞
JR東北本線・北上線「北上駅」・北上線「江釣子駅前」よりバス横川目線「横川目」行き乗車「東大坊」下車約550m
仁兵殿のカツラMAP
Posted on 2023/02/24 Fri. 18:32 [edit]
2023巨樹巨木展
イノセントアートギャラリー&カフェ寧とさいたま巨樹の会共催で、埼玉県伊奈町にて巨樹巨木展を開催いたします。
クリックすると大きくなります

期間:2023年3月17日(金)~3月29日(水) 3月23日は店定休
時間:11:00~19:00 最終日は15:00まで
(会のスタッフ在籍は月・火曜を除く13:00~16:00)
場所:イノセントアートギャラリー&カフェ寧 埼玉県北足立郡伊奈町大針635-4
イノセントアートギャラリー&カフェ寧HP
周辺地図(クリックすると少し大きくなります)

寧の出入口から入られましたら、広い庭の小道をお進みください。やがて店への道と母屋への道の二手に分かれます。両方で展示します。店の扉を開けて店内への通路がギャラリーで、小学校シンボルツリーと埼玉県内巨樹の展示、店内は大型の写真で飾ります。母屋では、樹種別に分けて巨樹写真の展示をします。
店 店内への通路
埼玉県内小学校シンボルツリー 12校
小学校・子どもたち・地域の方々とのシンボルツリーにまつわる話、小学校の紹介など、記事パネルで展示します。












■埼玉県東部・南部
・三箇小学校のイチョウ・本多静六所縁の樹木(久喜市)
・黒浜北小学校のケヤキ並木(蓮田市)
・宮原小学校のセンダン(さいたま市北区)
■埼玉県西部
・川越小学校のクスノキ(川越市)
・川越第一小学校の家老の松(川越市)
・小手指小学校のイチョウ(所沢市)
・飯能第一小学校のカゴノキ(飯能市)
■埼玉県北部・秩父
・八基小学校のクスノキ(深谷市)
・妻沼小学校のケヤキ(熊谷市)
・新郷第二小学校の大王松・すずかけの木・メタセコイヤ(羽生市)
・田ケ谷小学校のクスノキ(加須市)
・吉田小学校の大欅(秩父市)
併せて埼玉県内の巨樹も展示します。
店 店内
巨樹の大型写真で飾ります。ゆっくりおくつろぎください
母屋
樹種別巨樹
サクラ・マツ・スギなど数点ずつ展示


又兵衛桜(奈良県宇陀市) 上発知のシダレザクラ(群馬県沼田市)
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期間:2023年3月17日(金)~3月29日(水) 3月23日は店定休
時間:11:00~19:00 最終日は15:00まで
(会のスタッフ在籍は月・火曜を除く13:00~16:00)
場所:イノセントアートギャラリー&カフェ寧 埼玉県北足立郡伊奈町大針635-4
イノセントアートギャラリー&カフェ寧HP
周辺地図(クリックすると少し大きくなります)

寧の出入口から入られましたら、広い庭の小道をお進みください。やがて店への道と母屋への道の二手に分かれます。両方で展示します。店の扉を開けて店内への通路がギャラリーで、小学校シンボルツリーと埼玉県内巨樹の展示、店内は大型の写真で飾ります。母屋では、樹種別に分けて巨樹写真の展示をします。
店 店内への通路
埼玉県内小学校シンボルツリー 12校
小学校・子どもたち・地域の方々とのシンボルツリーにまつわる話、小学校の紹介など、記事パネルで展示します。












■埼玉県東部・南部
・三箇小学校のイチョウ・本多静六所縁の樹木(久喜市)
・黒浜北小学校のケヤキ並木(蓮田市)
・宮原小学校のセンダン(さいたま市北区)
■埼玉県西部
・川越小学校のクスノキ(川越市)
・川越第一小学校の家老の松(川越市)
・小手指小学校のイチョウ(所沢市)
・飯能第一小学校のカゴノキ(飯能市)
■埼玉県北部・秩父
・八基小学校のクスノキ(深谷市)
・妻沼小学校のケヤキ(熊谷市)
・新郷第二小学校の大王松・すずかけの木・メタセコイヤ(羽生市)
・田ケ谷小学校のクスノキ(加須市)
・吉田小学校の大欅(秩父市)
併せて埼玉県内の巨樹も展示します。
店 店内
巨樹の大型写真で飾ります。ゆっくりおくつろぎください
母屋
樹種別巨樹
サクラ・マツ・スギなど数点ずつ展示


又兵衛桜(奈良県宇陀市) 上発知のシダレザクラ(群馬県沼田市)
Posted on 2023/02/21 Tue. 12:36 [edit]
筏の大杉
比叡山神社の境内にそびえる様に立つ大スギです。神社が比叡山三十番神であることから「番神の大杉」と呼ばれてきました。また古来より授乳の神木とされてきました。主幹が上部で分かれて直立していることから、2本が癒着した合体木ではともいわれています。
●秋田県横手市
●秋田県指定天然記念物 新日本名木100選
※『秋田の巨樹・古木』(秋田県緑化推進委員会 2008)
●撮影年月日 2022年11月16日
江戸時代後期の旅行家、博物学者の菅江真澄も文政9年(1826)にこの大杉を訪れました。『雪の出羽路』の平鹿郡 筏村 大堤邑に、「うべならむ神木の両丫(ふたまた)の大杉は、人尺の中に斗レば周囲八尋余り」(両手を左右にまっすぐ広げた時の指先から指先までの長さが8人分 約14.4m)と、当時の大杉の太さが書かれています。

地上約5.5mのところで主幹が分かれています。かつて山桜が着生し樹齢60年、高さ6mにまで成長し、大杉の幹に割れ目が生じるようになったため、平成元年(1989)に伐採されました。現在着生しているのはウルシです。


大杉のひとりごと

比叡山神社
明治時代の神仏分離前は三十番神社でした。御祭神は30柱で、1か月30日を毎日交代で守護します。三十番神社は、平安時代に比叡山の横川で勧請されたのが始まりといわれています。神社縁起によると大同3年(808)の創建です。元旦早朝に大松明と奉納相撲による作柄占いが行われています。

住 所 秋田県横手市山内筏植田表56
交 通 JR奥羽本線「横手駅」東口またはJR北上線「相野々駅」よりバス山内線「三ツ又温泉入口」行き乗車「筏」下車約600m
筏の大杉MAP
参考:『秋田叢書 第7巻』(秋田叢書刊行舎 1933) 雪の出羽路 平鹿郡(下)菅江真澄 P489
●秋田県横手市
●秋田県指定天然記念物 新日本名木100選
※(2008) | |||
樹高 | 44.2m | ||
幹周 | 11.8m | ||
推定樹齢 | 600年 |
●撮影年月日 2022年11月16日
江戸時代後期の旅行家、博物学者の菅江真澄も文政9年(1826)にこの大杉を訪れました。『雪の出羽路』の平鹿郡 筏村 大堤邑に、「うべならむ神木の両丫(ふたまた)の大杉は、人尺の中に斗レば周囲八尋余り」(両手を左右にまっすぐ広げた時の指先から指先までの長さが8人分 約14.4m)と、当時の大杉の太さが書かれています。

地上約5.5mのところで主幹が分かれています。かつて山桜が着生し樹齢60年、高さ6mにまで成長し、大杉の幹に割れ目が生じるようになったため、平成元年(1989)に伐採されました。現在着生しているのはウルシです。


大杉のひとりごと

比叡山神社
明治時代の神仏分離前は三十番神社でした。御祭神は30柱で、1か月30日を毎日交代で守護します。三十番神社は、平安時代に比叡山の横川で勧請されたのが始まりといわれています。神社縁起によると大同3年(808)の創建です。元旦早朝に大松明と奉納相撲による作柄占いが行われています。

住 所 秋田県横手市山内筏植田表56
交 通 JR奥羽本線「横手駅」東口またはJR北上線「相野々駅」よりバス山内線「三ツ又温泉入口」行き乗車「筏」下車約600m
筏の大杉MAP
参考:『秋田叢書 第7巻』(秋田叢書刊行舎 1933) 雪の出羽路 平鹿郡(下)菅江真澄 P489
長谷の銀杏
長谷山観音寺跡に「長谷の七色銀杏」と呼ばれる古木のイチョウが立っています。案内板によると、七色銀杏の由来は、数本のブナの中にイチョウがあることからです。『秋田山形の老樹古木』(1935)によると「七種銀杏」とありました。イチョウの幹の高さ3m余りのところに周り1m余りの「あづきなし」生い茂り、更に幹の上一段高いところに桜の木ごときものが繁茂していました。来歴、伝説不詳ですが、このような木が7種あったので、里人はこれらを含め七種銀杏と云った、ということです。
●秋田県横手市
●撮影年月日 2022年11月16日
平成27年(2015)の案内板によると長谷山観音寺が建立されたのが約480年前とあり、イチョウの古木さからその頃植えられたのかもしれません。主幹は枯れていますがひこばえが成長し、案内板によると8本です。




長谷山観音寺跡
長谷山観音寺は祝融山正傳寺の前身です。建立後、大屋寺内に遷して大伽藍を建設しましたが、明暦3年(1657)火災に遭い、鬼嵐に移転しました。

住 所 秋田県横手市大屋寺内長谷山乙2
交 通 JR奥羽本線「横手駅」東口より羽後交通バス 横手・湯沢線「湯沢営業所前」行き または横手・小安線「梺」行き乗車「柳田」下車約1.1㎞
観音寺跡へは細い道を入っていきます。

長谷山観音跡MAP
※参考文献:『秋田山形の老樹古木』P88(秋田営林局 1935)
●秋田県横手市
案内板(2005) | |||
樹高 | 35m | ||
幹周 | 7.7m | ||
推定樹齢 | 300年以上 |
●撮影年月日 2022年11月16日
平成27年(2015)の案内板によると長谷山観音寺が建立されたのが約480年前とあり、イチョウの古木さからその頃植えられたのかもしれません。主幹は枯れていますがひこばえが成長し、案内板によると8本です。




長谷山観音寺跡
長谷山観音寺は祝融山正傳寺の前身です。建立後、大屋寺内に遷して大伽藍を建設しましたが、明暦3年(1657)火災に遭い、鬼嵐に移転しました。

住 所 秋田県横手市大屋寺内長谷山乙2
交 通 JR奥羽本線「横手駅」東口より羽後交通バス 横手・湯沢線「湯沢営業所前」行き または横手・小安線「梺」行き乗車「柳田」下車約1.1㎞
観音寺跡へは細い道を入っていきます。

長谷山観音跡MAP
※参考文献:『秋田山形の老樹古木』P88(秋田営林局 1935)
二本杉
増田小学校は、増田城(土肥館)の本丸跡に建てられた学校で、グラウンドの周囲は低い土塁が残っています。校舎の裏手の土塁上に二本杉と呼ばれる古木が立っています。元は2本でしたが、1本は戦後落雷で失われました。残る1本も幹内は空洞化し焼け跡が残り損傷が大きいので、養生されています。
杉には伝説があります。貞治2年(1363)小笠原義冬が増田城の築城にあたり、城の堅固や武運長久を祈って、自分の娘と牛を人柱にして生き埋めにしました。義冬は供養のために塚を造り、その上に2本の杉を植えたということです。
●秋田県横手市
●横手市指定天然記念物
※『秋田の巨樹・古木』(秋田県緑化推進委員会 2008)
●周辺巨樹 乳神様(約450m) 舟繋ぎのサイカチ(約1.1㎞)
●撮影年月日 2022年11月16日




県指定有形文化財の貞治碑。
大正13年(1924)増田小学校新築の際に発掘された碑で、貞治2年(1363)に「景高」という人が、正寿禅尼(人柱となった娘)の35日忌に菩提を弔うために建てたものといわれています。

住 所 秋田県横手市増田町字土肥館
交 通 JR奥羽本線「湯沢駅」東口より約180m羽後交通バス「草の台」「入道」行き乗車「平和通り角」下車約350m
二本杉MAP
杉には伝説があります。貞治2年(1363)小笠原義冬が増田城の築城にあたり、城の堅固や武運長久を祈って、自分の娘と牛を人柱にして生き埋めにしました。義冬は供養のために塚を造り、その上に2本の杉を植えたということです。
●秋田県横手市
●横手市指定天然記念物
案内板(2005) | ※(2008) | ||
樹高 | 19.6m | ||
幹周 | 7.0m | ||
推定樹齢 | 630年以上 |
●周辺巨樹 乳神様(約450m) 舟繋ぎのサイカチ(約1.1㎞)
●撮影年月日 2022年11月16日




県指定有形文化財の貞治碑。
大正13年(1924)増田小学校新築の際に発掘された碑で、貞治2年(1363)に「景高」という人が、正寿禅尼(人柱となった娘)の35日忌に菩提を弔うために建てたものといわれています。

住 所 秋田県横手市増田町字土肥館
交 通 JR奥羽本線「湯沢駅」東口より約180m羽後交通バス「草の台」「入道」行き乗車「平和通り角」下車約350m
二本杉MAP
乳神様
国道342号線沿いに立ち遠くからでも分かるイチョウです。案内柱によると、石田廣太郎家の氏神様として祀られている明神様の境内に植えられています。いつの頃からか時代は不明ですが、乳根が垂れていることから乳神様として参拝されるようになり、現在でも母乳の出ることを願って参拝に訪れているということです。
●秋田県横手市
●増田町の名木
※『秋田の巨樹・古木』(秋田県緑化推進委員会 2008)
●周辺巨樹 二本杉(約450m) 舟繋ぎのサイカチ(約650m)
●撮影年月日 2022年11月16日



住 所 秋田県横手市増田町増田上町42-1
交 通 JR奥羽本線「湯沢駅」東口より約180m羽後交通バス「草の台」「入道」行き乗車「上町」下車約400m
乳神様MAP
●秋田県横手市
●増田町の名木
※(2008) | |||
樹高 | 19.7m | ||
幹周 | 4.1m | ||
推定樹齢 | 500年 |
●周辺巨樹 二本杉(約450m) 舟繋ぎのサイカチ(約650m)
●撮影年月日 2022年11月16日



住 所 秋田県横手市増田町増田上町42-1
交 通 JR奥羽本線「湯沢駅」東口より約180m羽後交通バス「草の台」「入道」行き乗車「上町」下車約400m
乳神様MAP
舟繋ぎのサイカチ
すでに主幹は失われているので巨樹の面影はありませんが、ひこばえが大きくなって次世代サイカチとして成長しています。
菅江真澄の『雪出羽道平鹿郡』(1826)によると、サイカチは大樅、大榧とともに増田の三大古木大樹だったということです。 南に成瀬川が大きくU字に流れていますが、かつてはサイカチのそばを流れていたそうで、舟を繋いだ木でありました。
●秋田県横手市
●横手市指定天然記念物
※「菅江真澄研究第56号 菅江真澄が見た樹木」(菅江真澄研究会 2005)
●周辺巨樹 乳神様(650m) 二本杉(約1.1㎞)
●撮影年月日 2022年11月16日

枝にはねじ曲がった豆果が沢山ぶら下がっていました。



そばにある皀莢(さいかち)神社は、サイカチを祀る神社で、天保12年(1841)の創建と伝えられています。

住 所 秋田県横手市増田町増田縫殿42-1
交 通 JR奥羽本線「湯沢駅」東口より約180m羽後交通バス「草の台」「入道」行き乗車「上町」下車約400m
皀莢神社MAP
参考:「菅江真澄研究第56号 菅江真澄が見た樹木」(菅江真澄研究会)
菅江真澄の『雪出羽道平鹿郡』(1826)によると、サイカチは大樅、大榧とともに増田の三大古木大樹だったということです。 南に成瀬川が大きくU字に流れていますが、かつてはサイカチのそばを流れていたそうで、舟を繋いだ木でありました。
●秋田県横手市
●横手市指定天然記念物
※(2005) | |||
樹高 | 12m | ||
幹周 | |||
推定樹齢 | 620年 |
●周辺巨樹 乳神様(650m) 二本杉(約1.1㎞)
●撮影年月日 2022年11月16日

枝にはねじ曲がった豆果が沢山ぶら下がっていました。



そばにある皀莢(さいかち)神社は、サイカチを祀る神社で、天保12年(1841)の創建と伝えられています。

住 所 秋田県横手市増田町増田縫殿42-1
交 通 JR奥羽本線「湯沢駅」東口より約180m羽後交通バス「草の台」「入道」行き乗車「上町」下車約400m
皀莢神社MAP
参考:「菅江真澄研究第56号 菅江真澄が見た樹木」(菅江真澄研究会)
御嶽神社のイチョウと不動滝
羽後町に御嶽神社はいくつもあるのですが、西馬音内川沿い近くの杉林に囲まれた御嶽神社が目的の神社です。参道入口のイチョウはすでに葉が散っていて、大量の実が落ちていました。イチョウの真後ろの山門には、二体の馬の石像が安置されていますが、落ちている実がとにかくすごいので、イチョウと石馬には近づけず遠巻きに眺めるしかないのでした。
●秋田県雄勝郡羽後町
※『秋田の巨樹・古木』(秋田県緑化推進委員会 2008)
●周辺巨樹 元城神明社のイチョウ(約1.6㎞)
●撮影年月日 2022年11月15日
合体木のようです。

地面に実が大量に落ちているだけでなく、枝にもまだ大量に残っています。

『秋田の巨樹・古木』(秋田県緑化推進委員会 2008)によると、このイチョウの近くに清水が湧き、イチョウの乳状下垂(気根)から垂れる樹液を飲めば、乳の出が良くなると信じられ、女性の信仰を集めてきた、とありました・・・
しかし、そばには清水もなく、イチョウに気根(乳根)も無さそうで、乳信仰を持っているようには見えません。
一方、『秋田山形の老樹名木』(秋田営林局 1935)のP106の銀杏の記述は、同じ西馬音内堀回の御嶽神社遥拝殿のある場所で、同じく乳根の樹液を飲むと乳の出が良くなる信仰を持ち、また、清流や延命地蔵についての記述から、元城神明社のイチョウと被りました。もしかしたらですが、元城神明社はかつて御霊神社の遥拝殿があったのかもしれません。

イチョウと共にある二体の馬は「石馬っ子」と呼ばれ明治2年(1869)に安置されました。狛犬的存在で雄馬が「阿」、雌馬が「吽」です。馬の腹の下をくぐらせると「子供の麻疹が軽く済む」という言い伝えがあり、冬季以外参拝者の絶える日がなかったということです。

手入れをされている参道が気になり行ってみることに。

何と滝があり「不動滝・滝裏種子」の案内柱がありました。古くから不動滝または梵字滝と呼ばれ修験者の行場と伝えられました。この滝の岩壁には、摩滅してその形をとどめないものの不動明王の「種子」と呼ばれる梵字が刻まれていたといわれます。その滝の水で目を洗えば、眼病にご利益があると伝えられています。

高さ7m程の滝ですが、滝を見ているととても神聖な気持ちになりました。

御嶽神社
和銅6年(704)開創と伝えられています。小野寺氏の崇敬社で小野寺氏は熊野信仰に傾倒していたため、御嶽神社も神仏混交の強い色彩を帯びていました。
住 所 秋田県雄勝郡羽後町西馬音内堀回 滝ノ沢2
交 通 JR奥羽本線「湯沢駅」東口より羽後交通バス 西馬音内線「梺橋」行き乗車終点下車西へ約650m
御嶽神社MAP
●秋田県雄勝郡羽後町
※(2008) | |||
樹高 | 30m | ||
幹周 | 4.1m | ||
推定樹齢 | 300年 |
●周辺巨樹 元城神明社のイチョウ(約1.6㎞)
●撮影年月日 2022年11月15日
合体木のようです。

地面に実が大量に落ちているだけでなく、枝にもまだ大量に残っています。

『秋田の巨樹・古木』(秋田県緑化推進委員会 2008)によると、このイチョウの近くに清水が湧き、イチョウの乳状下垂(気根)から垂れる樹液を飲めば、乳の出が良くなると信じられ、女性の信仰を集めてきた、とありました・・・
しかし、そばには清水もなく、イチョウに気根(乳根)も無さそうで、乳信仰を持っているようには見えません。
一方、『秋田山形の老樹名木』(秋田営林局 1935)のP106の銀杏の記述は、同じ西馬音内堀回の御嶽神社遥拝殿のある場所で、同じく乳根の樹液を飲むと乳の出が良くなる信仰を持ち、また、清流や延命地蔵についての記述から、元城神明社のイチョウと被りました。もしかしたらですが、元城神明社はかつて御霊神社の遥拝殿があったのかもしれません。

イチョウと共にある二体の馬は「石馬っ子」と呼ばれ明治2年(1869)に安置されました。狛犬的存在で雄馬が「阿」、雌馬が「吽」です。馬の腹の下をくぐらせると「子供の麻疹が軽く済む」という言い伝えがあり、冬季以外参拝者の絶える日がなかったということです。

手入れをされている参道が気になり行ってみることに。

何と滝があり「不動滝・滝裏種子」の案内柱がありました。古くから不動滝または梵字滝と呼ばれ修験者の行場と伝えられました。この滝の岩壁には、摩滅してその形をとどめないものの不動明王の「種子」と呼ばれる梵字が刻まれていたといわれます。その滝の水で目を洗えば、眼病にご利益があると伝えられています。

高さ7m程の滝ですが、滝を見ているととても神聖な気持ちになりました。

御嶽神社
和銅6年(704)開創と伝えられています。小野寺氏の崇敬社で小野寺氏は熊野信仰に傾倒していたため、御嶽神社も神仏混交の強い色彩を帯びていました。
住 所 秋田県雄勝郡羽後町西馬音内堀回 滝ノ沢2
交 通 JR奥羽本線「湯沢駅」東口より羽後交通バス 西馬音内線「梺橋」行き乗車終点下車西へ約650m
御嶽神社MAP
元城神明社(もときしんめいしゃ)のイチョウ
西馬音内(にしもない)川の近くの神明社の御神木イチョウです。紅葉真っ盛りで黄色い炎のように元気よく葉がついていました。「乳の木様」とも呼ばれ乳根が見られます。
湯沢駅からバスで訪れましたが、1973年までは電気鉄道の雄勝(おがち)線が通り元西馬音内駅や梺駅があったということです。
っていました。対岸の麓駅があった場所は鉄道五博物館として車両が保存されています。
●秋田県雄勝郡羽後町
※環境省 巨樹・巨木林データベース
●周辺巨樹 御嶽神社のイチョウと不動滝(約1.6㎞)
●撮影年月日 2022年11月15日

根元には延命地蔵尊。石塔も並んでいます。

乳根が多くあり、乳信仰があったようです。

溝側の根が丸まって・・・切られたのでしょうか???

元城神明社
貞和年中(1345~1350)の創建と伝えられています。御祭神は天照皇大神。

住 所 秋田県雄勝郡羽後町西馬音内堀回関ノ口1
交 通 JR奥羽本線「湯沢駅」東口より羽後交通バス 西馬音内線「梺橋」行き乗車「元城上」下車約190m
元城神明社MAP
湯沢駅からバスで訪れましたが、1973年までは電気鉄道の雄勝(おがち)線が通り元西馬音内駅や梺駅があったということです。
っていました。対岸の麓駅があった場所は鉄道五博物館として車両が保存されています。
●秋田県雄勝郡羽後町
※(2000) | 実測(2022) | ||
樹高 | 25m | 約23m | |
幹周 | 6.0m | 約6.3m | |
推定樹齢 | 300年以上 |
●周辺巨樹 御嶽神社のイチョウと不動滝(約1.6㎞)
●撮影年月日 2022年11月15日

根元には延命地蔵尊。石塔も並んでいます。

乳根が多くあり、乳信仰があったようです。

溝側の根が丸まって・・・切られたのでしょうか???

元城神明社
貞和年中(1345~1350)の創建と伝えられています。御祭神は天照皇大神。

住 所 秋田県雄勝郡羽後町西馬音内堀回関ノ口1
交 通 JR奥羽本線「湯沢駅」東口より羽後交通バス 西馬音内線「梺橋」行き乗車「元城上」下車約190m
元城神明社MAP
霊仙院の乳のいちょう
乳根があるので「乳いちょう」の名がありますが、大枝がバッサリ切られているので、おそらく大枝と共に乳根もほとんど無くなってしまったのでしょう。幹に添うように生える乳根のみでした。イチョウについての案内板も無いので、乳信仰があったか無かったかは不明です。
●秋田県湯沢市
●湯沢市指定保存樹
※『秋田の巨樹・古木』(秋田県緑化推進委員会 2008)
●撮影年月日 2022年11月15日

安政6年(1859)と明治22年(1889)の火災の痕跡があるそうですが、分かりませんでした。

乳根は少しだけ見つけました。

霊仙院
元々は天台宗で、この一帯を支配していた千葉氏の菩提所でしたが、元和年間(1615~1624)に改宗開山しました。安政6年(1859)と明治22年(1889)の火災で御本尊を残して全焼しました。

住所 秋田県湯沢市松岡八幡林93
交通 JR奥羽本線「湯沢駅」東口より羽後交通バス西馬音内線または雄湯郷ランド循環線「雄勝中央病院」行き乗車終点下車約2.9㎞
霊仙院MAP
●秋田県湯沢市
●湯沢市指定保存樹
※(2008) | 実測(2022) | ||
樹高 | 26.4m | 14m | |
幹周 | 5.1m | 5.26m | |
推定樹齢 | 400年 |
●撮影年月日 2022年11月15日

安政6年(1859)と明治22年(1889)の火災の痕跡があるそうですが、分かりませんでした。

乳根は少しだけ見つけました。

霊仙院
元々は天台宗で、この一帯を支配していた千葉氏の菩提所でしたが、元和年間(1615~1624)に改宗開山しました。安政6年(1859)と明治22年(1889)の火災で御本尊を残して全焼しました。

住所 秋田県湯沢市松岡八幡林93
交通 JR奥羽本線「湯沢駅」東口より羽後交通バス西馬音内線または雄湯郷ランド循環線「雄勝中央病院」行き乗車終点下車約2.9㎞
霊仙院MAP
愛宕町の一里塚のツキの木
湯沢市の「湯ノ原のつきの木」同様、慶長9年(1604)徳川幕府が街道筋の諸藩に命じて築かせた一里塚です。江戸日本橋を起点に三十六町(3.927㎞)ごとに道路の両側に土を盛って木を植えて標点としました。旅人たちが憩いの目標として眺めたそうです。湯沢市指定有形文化財の『湯沢絵図』では、当時は街道の両側に一対の一里塚が描かれています。
●秋田県湯沢市
秋田県指定天然記念物
※『秋田の巨樹・古木』(秋田県緑化推進委員会 2008)
●周辺巨樹 湯ノ原のつきの木(約2㎞)
●撮影年月日 2022年11月15日
塚の上に立っていたのが、自らが塚そのものの姿になってます。

根回りは33mだそう。



祠には地蔵さまが安置されています。

住所 秋田県湯沢市愛宕町2-1
交通 JR奥羽本線「湯沢駅」東口より約1.5㎞
湯沢駅東口より羽後交通バス 雄湯郷ランド循環線「雄勝中央病院」行き乗車「愛宕町」下車
愛宕町一里塚MAP
●秋田県湯沢市
秋田県指定天然記念物
案内板 | ※(2008) | ||
樹高 | 20m | 21.7m | |
幹周 | 8m | 8m | |
推定樹齢 | 400年 | 390年 |
※『秋田の巨樹・古木』(秋田県緑化推進委員会 2008)
●周辺巨樹 湯ノ原のつきの木(約2㎞)
●撮影年月日 2022年11月15日
塚の上に立っていたのが、自らが塚そのものの姿になってます。

根回りは33mだそう。



祠には地蔵さまが安置されています。

住所 秋田県湯沢市愛宕町2-1
交通 JR奥羽本線「湯沢駅」東口より約1.5㎞
湯沢駅東口より羽後交通バス 雄湯郷ランド循環線「雄勝中央病院」行き乗車「愛宕町」下車
愛宕町一里塚MAP
廣澤寺の乳神大イチョウ
廣澤寺の墓地に立つ大イチョウは乳根が多くあり、昔から女性の乳の出を願う信仰があり乳神大イチョウの名があります。
おっぱい神社等を記録するワーキンググループの調査によると、日本独自の乳信仰は沖縄以外全都道府県にあります。その中でも秋田県のイチョウの乳信仰は抜きんでて多いです。
●秋田県湯沢市
●湯沢市保存樹
※環境省 巨樹・巨木林データベース
●撮影年月日 2022年11月15日



乳根からも葉が出ています。

廣澤寺
曹洞宗の寺院です。御本尊は釈迦如来。大同2年(807)月窓和尚が川原毛に建立した「霊通山前湯寺(天台宗)」が始まりです。長禄元年(1457)稲庭城主の小野寺道広は、寺を小沢の萱又に移転し寺号を嶺通山廣澤寺(曹洞宗)と改め、自ら大檀那開基となり、小野寺氏の菩提寺にしました。正保4年(1647)現在地へ移転、入母屋造の本堂は寛文元年(1789)に建立されました。

住所 秋田県湯沢市稲庭町小沢112
交通 JR奥羽本線「湯沢駅」東口より羽後交通バス湯沢・小安線「鳥谷」「子安温泉」行き乗車「小沢」下車約210m
広澤寺MAP
おっぱい神社等を記録するワーキンググループの調査によると、日本独自の乳信仰は沖縄以外全都道府県にあります。その中でも秋田県のイチョウの乳信仰は抜きんでて多いです。
●秋田県湯沢市
●湯沢市保存樹
※(2000) | 実測(2022) | ||
樹高 | 10m | 約22m | |
幹周 | 5.3m | 約5.45m | |
推定樹齢 | 200~299年 |
●撮影年月日 2022年11月15日



乳根からも葉が出ています。

廣澤寺
曹洞宗の寺院です。御本尊は釈迦如来。大同2年(807)月窓和尚が川原毛に建立した「霊通山前湯寺(天台宗)」が始まりです。長禄元年(1457)稲庭城主の小野寺道広は、寺を小沢の萱又に移転し寺号を嶺通山廣澤寺(曹洞宗)と改め、自ら大檀那開基となり、小野寺氏の菩提寺にしました。正保4年(1647)現在地へ移転、入母屋造の本堂は寛文元年(1789)に建立されました。

住所 秋田県湯沢市稲庭町小沢112
交通 JR奥羽本線「湯沢駅」東口より羽後交通バス湯沢・小安線「鳥谷」「子安温泉」行き乗車「小沢」下車約210m
広澤寺MAP
湯ノ原のつきの木
つき(槻)の木はケヤキの古名です。「湯ノ原のつきの木」の立つ一里塚は、奥羽街道を横断して日本海側から太平洋側に通じる本荘・小安街道と称する脇街道にあります。元は道の両側に塚があったと正保4年(1647)の『出羽一国御絵図』に記されています。約2㎞離れた「愛宕町の一里塚のツキの木」も両側に一対に植えられていました。
●秋田県湯沢市
●湯沢市指定史跡(一里塚)
※『秋田の巨樹・古木』(秋田県緑化推進委員会 2008)
●愛宕町の一里塚のツキの木(約2㎞)
●撮影年月日 2022年11月15日




明治末期ごろの絵葉書になった「湯ノ原のつきの木」(案内板より)

住所 秋田県湯沢市湯ノ原1-9
交通 JR奥羽本線「湯沢駅」東口より約1.2㎞
湯沢駅前より羽後交通バス湯沢・小安線「鳥谷」「子安温泉」行き乗車「湯の原」下車約160m
湯ノ原の一里塚MAP
●秋田県湯沢市
●湯沢市指定史跡(一里塚)
※(2008) | 実測(2022) | ||
樹高 | 11.6m | 約12m | |
幹周 | 5.5m | 約5.81m | |
推定樹齢 | 360年 |
●愛宕町の一里塚のツキの木(約2㎞)
●撮影年月日 2022年11月15日




明治末期ごろの絵葉書になった「湯ノ原のつきの木」(案内板より)

住所 秋田県湯沢市湯ノ原1-9
交通 JR奥羽本線「湯沢駅」東口より約1.2㎞
湯沢駅前より羽後交通バス湯沢・小安線「鳥谷」「子安温泉」行き乗車「湯の原」下車約160m
湯ノ原の一里塚MAP
三宅島 伊豆地区のサクラとシイ
三宅島北西の伊豆地区。都道212号線沿いの「普済院の大桜」(Googleマップには普済院でなく善陽寺と出ています)。普済院から212号を約180m南下して満願寺参道を進むと、「樹雨(きさめ)の椎」 「見返りの椎」と呼ばれるシイがあります。
●東京都三宅島三宅村
●三宅島巨樹 坪田林道のシイ達 神着地区の巨樹 神着のビャクシン 椎取神社のシイ
●撮影年月日 2022年10月29日
「普済院の大桜」 幹周6.3m 樹高10m 樹齢約230年
寛政4年(1792)大奥の医師田村幻長により植樹と伝わるオオシマザクラです。


「樹雨(きさめ)の椎」 幹周6.25m 樹高18m
普済院から約180mで満願寺(薬師様)に隣接する御祭神社への参道があります。参道を進んで行くと、空中で根がとても張り出たスダジイが。


満願寺(薬師様)・御祭神社入り口に立つ「見返りの椎」 幹周5.75m 樹高25m

何といっても根が特異に発達。

板根がすごい。

石の隙間も見逃さず伸びて行く。動物のように思えてきます。

住所 東京都三宅島三宅村伊豆283 ・1563
交通 東京臨海新交通臨海線ゆりかもめ「竹柴駅」よりすぐ「竹芝桟橋」よりフェリー
JR京浜東北線・山手線「浜松町駅」・都営浅草線・都営大江戸線「大門駅」より約750m「竹芝桟橋」よりフェリー
三宅島 伊豆地区MAP
参考:『火山島三宅島 巨樹・巨木林ガイドマップ』(三宅村発行)・三宅島フォーラム配布資料(やどり木の会)
●東京都三宅島三宅村
●三宅島巨樹 坪田林道のシイ達 神着地区の巨樹 神着のビャクシン 椎取神社のシイ
●撮影年月日 2022年10月29日
「普済院の大桜」 幹周6.3m 樹高10m 樹齢約230年
寛政4年(1792)大奥の医師田村幻長により植樹と伝わるオオシマザクラです。


「樹雨(きさめ)の椎」 幹周6.25m 樹高18m
普済院から約180mで満願寺(薬師様)に隣接する御祭神社への参道があります。参道を進んで行くと、空中で根がとても張り出たスダジイが。


満願寺(薬師様)・御祭神社入り口に立つ「見返りの椎」 幹周5.75m 樹高25m

何といっても根が特異に発達。

板根がすごい。

石の隙間も見逃さず伸びて行く。動物のように思えてきます。

住所 東京都三宅島三宅村伊豆283 ・1563
交通 東京臨海新交通臨海線ゆりかもめ「竹柴駅」よりすぐ「竹芝桟橋」よりフェリー
JR京浜東北線・山手線「浜松町駅」・都営浅草線・都営大江戸線「大門駅」より約750m「竹芝桟橋」よりフェリー
三宅島 伊豆地区MAP
参考:『火山島三宅島 巨樹・巨木林ガイドマップ』(三宅村発行)・三宅島フォーラム配布資料(やどり木の会)
三宅島 神着(かみつき)のビャクシン
三宅村神着にある島役所跡に見事なビャクシンが立っています。東京では最大級のビャクシンです。
御笏(おしゃく)神社が永正13年(1516)に現在地に移転した直後に植えられたビャクシンと伝えられています。ビャクシンの神として崇められていた歴史があります。
●東京都三宅島三宅村
●東京都指定天然記念物
※「島役所跡」案内板
●三宅島巨樹 坪田林道のシイ達 神着地区の巨樹 椎取神社のシイ 伊豆地区のサクラとシイ
●撮影年月日 2022年10月29日




島役所跡には樹齢150年余りの「篤姫ゆかりの蘇鉄」が生えています。篤姫が輿入れ際に国元から盆栽を持参しましたが、船が事故で大久保浜に漂着しその時に植えられたと伝えられています。

島役所は天文3年(1534)にこの地に移転され、現在も人が住んでいますが、「島役所跡」として東京都の文化財になっています。
伊豆諸島の中で最大最古の建物で材質は全てシイノキ。カンナは全く使われず主として手斧で仕上げられています。

住所 東京都三宅島三宅村
交通 東京臨海新交通臨海線ゆりかもめ「竹柴駅」よりすぐ「竹芝桟橋」よりフェリー
JR京浜東北線・山手線「浜松町駅」・都営浅草線・都営大江戸線「大門駅」より約750m「竹芝桟橋」よりフェリー
島役所跡MAP
参考:『火山島三宅島 巨樹・巨木林ガイドマップ』(三宅村発行)・三宅島フォーラム配布資料(やどり木の会)
御笏(おしゃく)神社が永正13年(1516)に現在地に移転した直後に植えられたビャクシンと伝えられています。ビャクシンの神として崇められていた歴史があります。
●東京都三宅島三宅村
●東京都指定天然記念物
案内板(2011) | |||
樹高 | 約26年 | ||
幹周 | 約7m | ||
推定樹齢 | ※1516年植樹 |
●三宅島巨樹 坪田林道のシイ達 神着地区の巨樹 椎取神社のシイ 伊豆地区のサクラとシイ
●撮影年月日 2022年10月29日




島役所跡には樹齢150年余りの「篤姫ゆかりの蘇鉄」が生えています。篤姫が輿入れ際に国元から盆栽を持参しましたが、船が事故で大久保浜に漂着しその時に植えられたと伝えられています。

島役所は天文3年(1534)にこの地に移転され、現在も人が住んでいますが、「島役所跡」として東京都の文化財になっています。
伊豆諸島の中で最大最古の建物で材質は全てシイノキ。カンナは全く使われず主として手斧で仕上げられています。

住所 東京都三宅島三宅村
交通 東京臨海新交通臨海線ゆりかもめ「竹柴駅」よりすぐ「竹芝桟橋」よりフェリー
JR京浜東北線・山手線「浜松町駅」・都営浅草線・都営大江戸線「大門駅」より約750m「竹芝桟橋」よりフェリー
島役所跡MAP
参考:『火山島三宅島 巨樹・巨木林ガイドマップ』(三宅村発行)・三宅島フォーラム配布資料(やどり木の会)
三宅島 神着(かみつき)地区の巨樹
三宅島北部の神着地区にも巨樹が多いです。未見ですが、垂乳根の銀杏(2本株 幹周6.09m)・神着の大椨(3本株 幹周8.45m)もあります。
●東京都三宅島三宅村
●三宅島巨樹 坪田林道のシイ達 椎取神社のシイ 神着のビャクシン 伊豆地区のサクラとシイ
●撮影年月日 2022年10月29日
「十三手(じゅうさんしゅ)祈りの椎」株立ち13本 総幹周26.47m(最大幹周3.7m) 推定樹齢500年
2000年噴火からの復興を祈願して名付けられました。神着集落の山道を登っていきます。


「神着の大ザクラ」東京都指定天然記念物 幹周約5m 幹高約6.5m(案内板 H23)
オオシマザクラです。三宅村神着出張所・三宅村神着児童遊園の近くにあります。

主幹はほとんど腐朽しています。

三宅村神着児童遊園の「私は椨です」 幹周3.17m 樹高6m 樹齢推定150年

何故こんな名前かというと、アカメガシワやツワブキ、イヌビワなど19種類もの着生植物が共生して、いったい何の木か分からなくなっているから。

児童遊園内のスダジイ2本も存在感あります。手前のスダジイは幹周3.07m

住所 東京都三宅島三宅村
交通 東京臨海新交通臨海線ゆりかもめ「竹柴駅」よりすぐ「竹芝桟橋」よりフェリー
JR京浜東北線・山手線「浜松町駅」・都営浅草線・都営大江戸線「大門駅」より約750m「竹芝桟橋」よりフェリー
三宅島 神着MAP
参考:『火山島三宅島 巨樹・巨木林ガイドマップ』(三宅村発行)・三宅島フォーラム配布資料(やどり木の会)
●東京都三宅島三宅村
●三宅島巨樹 坪田林道のシイ達 椎取神社のシイ 神着のビャクシン 伊豆地区のサクラとシイ
●撮影年月日 2022年10月29日
「十三手(じゅうさんしゅ)祈りの椎」株立ち13本 総幹周26.47m(最大幹周3.7m) 推定樹齢500年
2000年噴火からの復興を祈願して名付けられました。神着集落の山道を登っていきます。


「神着の大ザクラ」東京都指定天然記念物 幹周約5m 幹高約6.5m(案内板 H23)
オオシマザクラです。三宅村神着出張所・三宅村神着児童遊園の近くにあります。

主幹はほとんど腐朽しています。

三宅村神着児童遊園の「私は椨です」 幹周3.17m 樹高6m 樹齢推定150年

何故こんな名前かというと、アカメガシワやツワブキ、イヌビワなど19種類もの着生植物が共生して、いったい何の木か分からなくなっているから。

児童遊園内のスダジイ2本も存在感あります。手前のスダジイは幹周3.07m

住所 東京都三宅島三宅村
交通 東京臨海新交通臨海線ゆりかもめ「竹柴駅」よりすぐ「竹芝桟橋」よりフェリー
JR京浜東北線・山手線「浜松町駅」・都営浅草線・都営大江戸線「大門駅」より約750m「竹芝桟橋」よりフェリー
三宅島 神着MAP
参考:『火山島三宅島 巨樹・巨木林ガイドマップ』(三宅村発行)・三宅島フォーラム配布資料(やどり木の会)
三宅島 椎取神社のシイ
三宅島の椎取地区は2000年の噴火の影響が大きく、かつての椎取神社は泥流に埋もれたまま残っています。椎取神社の鎮守の森は約300mの散策路になっていて、スダジイの巨樹があります。
●東京都三宅島三宅村
●三宅島巨樹 坪田林道のシイ達 神着地区の巨樹 神着のビャクシン 伊豆地区のサクラとシイ
●撮影年月日 2022年10月29日
「不死身の魂椎」(三宅中学1年生が命名) 幹周5.7m 樹齢約250年

「椎取の御神木」幹周4.62m 樹齢約230年
写真に撮っていませんが、御神木の近くに「うらめし椎」(幹4.44m)もあります。

かつての椎取神社は泥流に埋もれました。埋まったままの鳥居と右奥に社殿の屋根が見えます。

埋もれた社殿。

現在の椎取神社。

住所 東京都三宅島三宅村
交通 東京臨海新交通臨海線ゆりかもめ「竹柴駅」よりすぐ「竹芝桟橋」よりフェリー
JR京浜東北線・山手線「浜松町駅」・都営浅草線・都営大江戸線「大門駅」より約750m「竹芝桟橋」よりフェリー
椎取神社MAP
参考:『火山島三宅島 巨樹・巨木林ガイドマップ』(三宅村発行)・三宅島フォーラム配布資料(やどり木の会)
●東京都三宅島三宅村
●三宅島巨樹 坪田林道のシイ達 神着地区の巨樹 神着のビャクシン 伊豆地区のサクラとシイ
●撮影年月日 2022年10月29日
「不死身の魂椎」(三宅中学1年生が命名) 幹周5.7m 樹齢約250年

「椎取の御神木」幹周4.62m 樹齢約230年
写真に撮っていませんが、御神木の近くに「うらめし椎」(幹4.44m)もあります。

かつての椎取神社は泥流に埋もれました。埋まったままの鳥居と右奥に社殿の屋根が見えます。

埋もれた社殿。

現在の椎取神社。

住所 東京都三宅島三宅村
交通 東京臨海新交通臨海線ゆりかもめ「竹柴駅」よりすぐ「竹芝桟橋」よりフェリー
JR京浜東北線・山手線「浜松町駅」・都営浅草線・都営大江戸線「大門駅」より約750m「竹芝桟橋」よりフェリー
椎取神社MAP
参考:『火山島三宅島 巨樹・巨木林ガイドマップ』(三宅村発行)・三宅島フォーラム配布資料(やどり木の会)
Posted on 2023/01/04 Wed. 05:13 [edit]
三宅島 坪田林道のシイ達
三宅島はスダシイの巨樹巨木がとても多いですが、2000年噴火で島内の樹木の6割は枯死や影響を受けたといわれています。困難な環境の中、強い生命力で生き抜いてきました。シイの調査に尽力し、シイ達の立ち姿に生き様を感じられた佐久間文夫さんがシイに個性的な名を付けられています。
●東京都三宅島三宅村
●三宅島巨樹 椎取神社のシイ 神着地区の巨樹 神着のビャクシン 伊豆地区のサクラとシイ
●撮影年月日 2022年10月29日
「マジかよ!シイ」幹周5.8m 樹齢約250年
林道沿いに立ち、空洞化が激しく立っているのが不思議な感動のシイ

「エッサイ(生命)の椎」幹周11.04m 樹高15m 樹齢550年
フランスの画家ジョルジュ・ブラックの躍動感あふれる作品「エッサイの木」に因んだ名前が付けられています。

巨樹ではありませんが、これもすごい。

「御焼(みやけ)の黄泉(よみ)の椎」幹周19.27m 樹齢約1000年
火山島の蘇る椎の意味。スダジイとして全国1位の幹周です。

違う方角からの「御焼の黄泉の椎」

「哀楽の椎」幹周11.06m 樹齢約550年
主幹や大株がは朽ちていますが何本もの若木が元気に育っている希望の椎。島内第3位の幹周。

「哀楽の椎」別角度。

「空蝉(うつせみ)の椎」幹周15.99m(株4本) 樹齢約600年
セミの抜け殻のような印象を与えるスダジイ。島内2位の幹周。

「風籟(ふうらい)の椎」幹周7.14m(株2本) 樹齢約300年

山は立ち枯れたスギが多く見られます。噴火の火山ガスが充満したため枯れたスギが残っています。
火山灰が沢山降り積もった地表は雨水が浸透せず多くの泥流被害をもたらしました。そんな地表からも新たな命が生まれていき、今では緑の山になりました。

住所 東京都三宅島三宅村
交通 東京臨海新交通臨海線ゆりかもめ「竹柴駅」よりすぐ「竹芝桟橋」よりフェリー
JR京浜東北線・山手線「浜松町駅」・都営浅草線・都営大江戸線「大門駅」より約750m「竹芝桟橋」よりフェリー
三宅島 坪田地区MAP
参考:『火山島三宅島 巨樹・巨木林ガイドマップ』(三宅村発行)・三宅島フォーラム配布資料(やどり木の会)
●東京都三宅島三宅村
●三宅島巨樹 椎取神社のシイ 神着地区の巨樹 神着のビャクシン 伊豆地区のサクラとシイ
●撮影年月日 2022年10月29日
「マジかよ!シイ」幹周5.8m 樹齢約250年
林道沿いに立ち、空洞化が激しく立っているのが不思議な感動のシイ

「エッサイ(生命)の椎」幹周11.04m 樹高15m 樹齢550年
フランスの画家ジョルジュ・ブラックの躍動感あふれる作品「エッサイの木」に因んだ名前が付けられています。

巨樹ではありませんが、これもすごい。

「御焼(みやけ)の黄泉(よみ)の椎」幹周19.27m 樹齢約1000年
火山島の蘇る椎の意味。スダジイとして全国1位の幹周です。

違う方角からの「御焼の黄泉の椎」

「哀楽の椎」幹周11.06m 樹齢約550年
主幹や大株がは朽ちていますが何本もの若木が元気に育っている希望の椎。島内第3位の幹周。

「哀楽の椎」別角度。

「空蝉(うつせみ)の椎」幹周15.99m(株4本) 樹齢約600年
セミの抜け殻のような印象を与えるスダジイ。島内2位の幹周。

「風籟(ふうらい)の椎」幹周7.14m(株2本) 樹齢約300年

山は立ち枯れたスギが多く見られます。噴火の火山ガスが充満したため枯れたスギが残っています。
火山灰が沢山降り積もった地表は雨水が浸透せず多くの泥流被害をもたらしました。そんな地表からも新たな命が生まれていき、今では緑の山になりました。

住所 東京都三宅島三宅村
交通 東京臨海新交通臨海線ゆりかもめ「竹柴駅」よりすぐ「竹芝桟橋」よりフェリー
JR京浜東北線・山手線「浜松町駅」・都営浅草線・都営大江戸線「大門駅」より約750m「竹芝桟橋」よりフェリー
三宅島 坪田地区MAP
参考:『火山島三宅島 巨樹・巨木林ガイドマップ』(三宅村発行)・三宅島フォーラム配布資料(やどり木の会)
来迎寺の公孫樹
来迎寺の立札によると樹齢推定400年のイチョウです。寺の古文書によると元禄14年(1701)5月14日、来迎寺の本堂を含む折立村の火災がありました。その時に焼け残ったイチョウは「火伏せの公孫樹」とも呼ばれ崇められています。幹周5.1mのイチョウは市内の西福寺の公孫樹と同じです。
●千葉県白井市
●白井市指定天然記念物
※環境省 巨樹・巨木林データベース
●撮影年月日 2022年10月19日


主幹は火災の影響で二つに分かれています。

上を向いている枝が多くて元気そう。

来迎寺
天台宗の寺院です。開基は承久年間(1219~1221)。御本尊は阿弥陀如来。しろい七福神の布袋尊が祀られています。
本堂内には本尊阿弥陀如来坐像のほか、白井市指定文化財の木造阿弥陀如来立像、木造不動明王立像、木造毘沙門立像、木造閻魔王坐像、木造奪衣婆坐像が安置されております。

住所 千葉県白井市折立266
交通 北総線「西白井駅」北口より白井市コミュニティバス「ナッシー号」北ルート「千葉ニュータウン中央駅北口」行き乗車「石橋薬局」下車約400m
来迎寺MAP
●千葉県白井市
●白井市指定天然記念物
案内板(2007) | ※(2000) | ||
樹高 | 15m | ||
幹周 | 5.1m | 4.95m | |
推定樹齢 | 200~299年 |
●撮影年月日 2022年10月19日


主幹は火災の影響で二つに分かれています。

上を向いている枝が多くて元気そう。

来迎寺
天台宗の寺院です。開基は承久年間(1219~1221)。御本尊は阿弥陀如来。しろい七福神の布袋尊が祀られています。
本堂内には本尊阿弥陀如来坐像のほか、白井市指定文化財の木造阿弥陀如来立像、木造不動明王立像、木造毘沙門立像、木造閻魔王坐像、木造奪衣婆坐像が安置されております。

住所 千葉県白井市折立266
交通 北総線「西白井駅」北口より白井市コミュニティバス「ナッシー号」北ルート「千葉ニュータウン中央駅北口」行き乗車「石橋薬局」下車約400m
来迎寺MAP
薬王寺のスダジイ
環境省の巨樹巨木データベースに2000年調査の幹周5.1mスダジイがあったので訪れました。参道石段途中の大きなスダジイを見ながら境内へ。本堂向かって右手に進んで行くと根張りのしっかりしたスダジイ、さらに奥に孤高の一本という感じのスダジイです。どれも5.1mは無さそうでしたが、境内の鬱蒼とした雰囲気が古木のスダジイに合っていました。
●千葉県白井市
●周辺巨樹 西福寺の公孫樹(約260m)
●撮影年月日 2022年10月19日



薬王寺
天台宗の寺院です。創建は不明ですが、大同年間(806~810)に建立されたと伝えられています。御本尊は阿弥陀如来。雨乞いの竜神伝説のある千葉県指定史跡「清戸の泉」の由来が伝わっています。

しろい七福神めぐりの弁財天

住所 千葉県白井市清戸6
交通 北総線「千葉ニュータウン中央駅」北口より白井市コミュニティバス「ナッシー号」東ルート「白井市役所」行き乗車「谷田」下車約110m
白井市コミュニティバス「ナッシー号」情報
薬王寺MAP
●千葉県白井市
●周辺巨樹 西福寺の公孫樹(約260m)
●撮影年月日 2022年10月19日



薬王寺
天台宗の寺院です。創建は不明ですが、大同年間(806~810)に建立されたと伝えられています。御本尊は阿弥陀如来。雨乞いの竜神伝説のある千葉県指定史跡「清戸の泉」の由来が伝わっています。

しろい七福神めぐりの弁財天

住所 千葉県白井市清戸6
交通 北総線「千葉ニュータウン中央駅」北口より白井市コミュニティバス「ナッシー号」東ルート「白井市役所」行き乗車「谷田」下車約110m
白井市コミュニティバス「ナッシー号」情報
薬王寺MAP
西福寺(さいふくじ)の公孫樹
子育て観音の「乳房公孫樹」と呼ばれ「観音にすがり乳柱の一部を削って煎じ、愛飲すると忽ち乳が出る」という信仰があります。現在は無住のお寺でひっそりとしていますが、昔はイチョウの霊験を求めて近郷からの参詣も多く、第二次大戦前は東京からも人々が訪れ賑わったということです。
●千葉県白井市
●白井市指定天然記念物
※白井市の巨樹・巨木(白井市教育委員会 2003)
●周辺巨樹 薬王寺のスダジイ(約260m)
●撮影年月日 2022年10月19日


乳根の削られ方がから、どれだけ信仰されていたか分かります。

公孫樹に薬剤散布するために地元の方が取り付けられた管。

複数の損傷部からヌルデが伸びています。

西福寺
天台宗の寺院です。開基は不明。現在は無住ですが、御本尊は阿弥陀如来。

住所 千葉県白井市谷田875
交通 北総線「千葉ニュータウン中央駅」北口より白井市コミュニティバス「ナッシー号」東ルート「白井市役所」行き乗車「谷田」下車約150m
白井市コミュニティバス「ナッシー号」情報
西福寺MAP
●千葉県白井市
●白井市指定天然記念物
※(2003) | 実測(2022) | ||
樹高 | 14.32m | 約20m | |
幹周 | 5.1m | 約5.17m | |
推定樹齢 | 約400年 |
●周辺巨樹 薬王寺のスダジイ(約260m)
●撮影年月日 2022年10月19日


乳根の削られ方がから、どれだけ信仰されていたか分かります。

公孫樹に薬剤散布するために地元の方が取り付けられた管。

複数の損傷部からヌルデが伸びています。

西福寺
天台宗の寺院です。開基は不明。現在は無住ですが、御本尊は阿弥陀如来。

住所 千葉県白井市谷田875
交通 北総線「千葉ニュータウン中央駅」北口より白井市コミュニティバス「ナッシー号」東ルート「白井市役所」行き乗車「谷田」下車約150m
白井市コミュニティバス「ナッシー号」情報
西福寺MAP
幻想の森
戸沢村を流れる最上川沿いの国道の脇道を入り、林道を3㎞ほど行ったところに「幻想の森」があります。天然杉の巨木群生地で、太平洋側のオモテ杉に対してウラ杉と呼ばれ、地名から山ノ内杉、土湯杉とも呼ばれています。
樹齢1000年以上という巨木が多く、タコ足上状に分かれた多幹のスギは、それぞれが自由気ままの独特な幹ですが、不思議な光景に「幻想の森」の名がつけられたのも納得です。
● 山形県最上郡戸沢村
●撮影年月日 2022年10月13日
「幻想の森」の主的存在の大杉。元は1本だったそう。

根元周りが17m(庄内観光サイトより)

別の角度から。

下が思い思いの形なのに比べ、上部はまっすぐ足並み揃えて伸びています。





1本にまたがるかのように別の杉が乗っかるようにして合体した感じ。



損傷した部分も何故かユーモラスに見えてきます。

住所 山形県最上郡戸沢村大字古口字土湯
交通 JR陸羽西線「高屋駅」より国道林47号約1.3㎞左折して林道約3㎞
幻想の森MAP
樹齢1000年以上という巨木が多く、タコ足上状に分かれた多幹のスギは、それぞれが自由気ままの独特な幹ですが、不思議な光景に「幻想の森」の名がつけられたのも納得です。
● 山形県最上郡戸沢村
●撮影年月日 2022年10月13日
「幻想の森」の主的存在の大杉。元は1本だったそう。

根元周りが17m(庄内観光サイトより)

別の角度から。

下が思い思いの形なのに比べ、上部はまっすぐ足並み揃えて伸びています。





1本にまたがるかのように別の杉が乗っかるようにして合体した感じ。



損傷した部分も何故かユーモラスに見えてきます。

住所 山形県最上郡戸沢村大字古口字土湯
交通 JR陸羽西線「高屋駅」より国道林47号約1.3㎞左折して林道約3㎞
幻想の森MAP
払田(はらいだ)の地蔵の松
傘状の見事なクロマツです。案内板の言い伝えによると、備前国の池田候の一族が鳥海山の麓に来開拓しましたが、山崩れに遭い本町福原付近に移住、すると今度は洪水に遭い田畑を失いました。そこで三度めに移ったこの地を「払田」と名付けました。
この松はその頃植えられたといわれています。
後に庄内藩主酒井候の求めで藩邸に移植されましたが、夜な夜な女性の泣き声を発するので気味が悪くなり、六面地蔵を添えて植え戻し、この松を「地蔵の松」というようになったといわれています。
●山形県東田川郡庄内町
●山形県指定天然記念物
●撮影年月日 2022年10月12日


地蔵が祀られ、隣には文化2年(1805)の句碑も。


住所 山形県東田川郡庄内町払田字サビ
交通 JR羽越本線・陸羽西線「余目駅」より約1.2㎞
払田の地蔵の松MAP
この松はその頃植えられたといわれています。
後に庄内藩主酒井候の求めで藩邸に移植されましたが、夜な夜な女性の泣き声を発するので気味が悪くなり、六面地蔵を添えて植え戻し、この松を「地蔵の松」というようになったといわれています。
●山形県東田川郡庄内町
●山形県指定天然記念物
案内板 | 実測(2022) | ||
樹高 | 10.8m | ||
幹周 | 3.9m | 4.84m | |
推定樹齢 | 370年 |
●撮影年月日 2022年10月12日


地蔵が祀られ、隣には文化2年(1805)の句碑も。


住所 山形県東田川郡庄内町払田字サビ
交通 JR羽越本線・陸羽西線「余目駅」より約1.2㎞
払田の地蔵の松MAP
三ヶ沢(みかざわ)の乳イチョウ
霊輝院の境内に大小多数の乳根がさがる乳イチョウがあります。古くから乳の出を願う人々の信仰を集め、乳の出ない人の中には乳根の先端を削って、煎じて飲む人もいたそうです。
●山形県東田川郡庄内町
●山形県指定天然記念物
●撮影年月日 2022年10月12日
手前にある石地蔵を祀るお堂。元々は根元にありましたが、伸びた乳根が屋根にくっついたため、乳根を切らずにお堂を移したということです。





子どもの成長を願う気持ちがいっぱいのお堂。

霊輝院
寛永10年(1633)鶴岡市添川に「霊光院」として建立、数十年後に現在地に移転され、時を経て「霊輝院」に改称されました。

住所 山形県東田川郡庄内町三ケ沢白山口48
交通 JR陸羽西線「狩川駅」より約5.4㎞
霊輝院MAP
参考資料:山形新聞(2014年10月27日 ふるさとの文化財207)
●山形県東田川郡庄内町
●山形県指定天然記念物
案内板(2005) | |||
樹高 | 27m | ||
幹周 | 7.4m | ||
推定樹齢 | 350年以上 |
●撮影年月日 2022年10月12日
手前にある石地蔵を祀るお堂。元々は根元にありましたが、伸びた乳根が屋根にくっついたため、乳根を切らずにお堂を移したということです。





子どもの成長を願う気持ちがいっぱいのお堂。

霊輝院
寛永10年(1633)鶴岡市添川に「霊光院」として建立、数十年後に現在地に移転され、時を経て「霊輝院」に改称されました。

住所 山形県東田川郡庄内町三ケ沢白山口48
交通 JR陸羽西線「狩川駅」より約5.4㎞
霊輝院MAP
参考資料:山形新聞(2014年10月27日 ふるさとの文化財207)
添川の根子(ねっこ)スギ
両所神社の御神木ということですが、両所神社とはかなり離れている場所にあり、添川農村公園沿いの山に向かう道をひたすら行きます。
根子杉は、広く開けた場所の中央に、まさにシンボルの塔のようにそびえていました。8本のスギが完全に癒着して大きな株になっています。
●山形県鶴岡市
●山形県指定天然記念物
●撮影年月日 2022年10月12日

8本全部写るようには撮れない。

丸太に座っていたら大きな蜂が頭上を・・・根元の洞に入っていきました。


根元に埋まっている石造物。「山大神」と彫られていました。

ひたすら山道を進んでいき、池が見えてきたらまもなくです。

池の先には案内板があり、右手に500m行きます。

住所 山形県鶴岡市添川字米山
交通 JR羽越本線「鶴岡駅」よりバス①「羽黒山頂」行き乗車「羽黒案内所」下車約3.3㎞で添川農村公園、公園沿いの道を山に向かって約2㎞
添川の根子スギMAP
根子杉は、広く開けた場所の中央に、まさにシンボルの塔のようにそびえていました。8本のスギが完全に癒着して大きな株になっています。
●山形県鶴岡市
●山形県指定天然記念物
案内板(1981) | |||
樹高 | 約35m | ||
幹周 | 根周13.7m 最大幹周5.2m | ||
推定樹齢 |
●撮影年月日 2022年10月12日

8本全部写るようには撮れない。

丸太に座っていたら大きな蜂が頭上を・・・根元の洞に入っていきました。


根元に埋まっている石造物。「山大神」と彫られていました。

ひたすら山道を進んでいき、池が見えてきたらまもなくです。

池の先には案内板があり、右手に500m行きます。

住所 山形県鶴岡市添川字米山
交通 JR羽越本線「鶴岡駅」よりバス①「羽黒山頂」行き乗車「羽黒案内所」下車約3.3㎞で添川農村公園、公園沿いの道を山に向かって約2㎞
添川の根子スギMAP
羽黒山の巨樹
山形県鶴岡市の羽黒山は標高414mで、山岳信仰の中心地で蜂子皇子により推古元年(592に開山されました。蜂子皇子が三本足の八咫烏にこの山に導かれたことが「羽黒山」の名前の由来とされています。
随神門から山頂の出羽三山神社までの約1.7km続く参道の石段は2446段で石段の数日本一。江戸時代の慶安元年(1648)から13年の歳月をかけて敷設されました。参道沿いには樹齢350~500年越えの大杉が立ち並び壮観です。
●山形県鶴岡市
●国指定天然記念物(爺スギ)
●撮影年月日 2022年10月11日
随神門そばのスギからして存在感あり。

羽黒山御神橋(ごしんきょう)そばの祓川神社の背後に滝、岩戸分神社の背後に高木。

国指定天然記念物の爺(じじ)スギ。羽黒山で最大最古の巨樹で、樹齢推定1000年以上 根回り10.5m 幹周8.25m(案内板)。 近くに婆スギもあったそうですが、明治35年(1902)に暴風で倒木しました。
後方に五重塔が見えます。

杉並木の中に建つ素木造りの五重塔。江戸時代初期に廃寺になった宝塔山龍水寺の塔でした。国宝で高さ29.4m。

三間五層・素木作り(杉材)・柿葺き。余計な配色が無いので周囲に溶け込んでいます。塔自体が巨樹のようにも感じてきます。

女夫(めおと)杉。2本が根元で合体。上の方でも枝が幹に突き刺さって合体。この木を抱擁すると子どもが授かると伝えられています。

文字のようなものが書かれた石段。2446段の石段には盃、とっくり、ひょうたんなど33個の彫り物が刻まれているそうです。

文字も33個の中に入っているのかいないのか。

二ノ坂茶屋を過ぎて少し行くと旧御本坊跡の案内板。近くに伊邪那岐稲荷神社の鳥居があり、向かって右奥に巨木らしき木が。

イチョウです。2本の合体ですが、幹周を2本ひとまとめで測ったら6.35m。

三ノ坂の杉並木。


向かって右側の杉の間に案内板。
三の坂右側の谷間の約1000本の杉は、文政年間(1818~1829)東田川郡八栄里村田谷の篤信者 渡辺作左エ門が植樹奉納したので「田谷村杉」と呼ばれています。

住所 山形県鶴岡市羽黒町手向字手向7
交通 JR羽越本線「鶴岡駅」よりバス①「羽黒山頂」行き乗車「羽黒随神門」下車
(終点の山頂までバスで行き、下ってくると楽)
羽黒山随神門MAP
随神門から山頂の出羽三山神社までの約1.7km続く参道の石段は2446段で石段の数日本一。江戸時代の慶安元年(1648)から13年の歳月をかけて敷設されました。参道沿いには樹齢350~500年越えの大杉が立ち並び壮観です。
●山形県鶴岡市
●国指定天然記念物(爺スギ)
●撮影年月日 2022年10月11日
随神門そばのスギからして存在感あり。

羽黒山御神橋(ごしんきょう)そばの祓川神社の背後に滝、岩戸分神社の背後に高木。

国指定天然記念物の爺(じじ)スギ。羽黒山で最大最古の巨樹で、樹齢推定1000年以上 根回り10.5m 幹周8.25m(案内板)。 近くに婆スギもあったそうですが、明治35年(1902)に暴風で倒木しました。
後方に五重塔が見えます。

杉並木の中に建つ素木造りの五重塔。江戸時代初期に廃寺になった宝塔山龍水寺の塔でした。国宝で高さ29.4m。

三間五層・素木作り(杉材)・柿葺き。余計な配色が無いので周囲に溶け込んでいます。塔自体が巨樹のようにも感じてきます。

女夫(めおと)杉。2本が根元で合体。上の方でも枝が幹に突き刺さって合体。この木を抱擁すると子どもが授かると伝えられています。

文字のようなものが書かれた石段。2446段の石段には盃、とっくり、ひょうたんなど33個の彫り物が刻まれているそうです。

文字も33個の中に入っているのかいないのか。

二ノ坂茶屋を過ぎて少し行くと旧御本坊跡の案内板。近くに伊邪那岐稲荷神社の鳥居があり、向かって右奥に巨木らしき木が。

イチョウです。2本の合体ですが、幹周を2本ひとまとめで測ったら6.35m。

三ノ坂の杉並木。


向かって右側の杉の間に案内板。
三の坂右側の谷間の約1000本の杉は、文政年間(1818~1829)東田川郡八栄里村田谷の篤信者 渡辺作左エ門が植樹奉納したので「田谷村杉」と呼ばれています。

住所 山形県鶴岡市羽黒町手向字手向7
交通 JR羽越本線「鶴岡駅」よりバス①「羽黒山頂」行き乗車「羽黒随神門」下車
(終点の山頂までバスで行き、下ってくると楽)
羽黒山随神門MAP
蜂子皇子の墓
蜂子皇子は聖徳太子の従弟で、大和朝廷に追われ東北へ逃亡の後、出羽三山(羽黒山・月山・湯殿山)の開祖となり羽黒修験道の基礎を築きました。出羽三山神社のある羽黒山山頂に蜂子皇子の墓所があります。東北地方で宮内庁が管理する唯一の御陵です。
●山形県鶴岡市羽黒町
●撮影年月日 2022年10月11日
仏教推進の蘇我氏と神道派の物部氏の宗教戦争で蘇我氏が勝利した後、多くの皇族が迫害を受け崇峻天皇も殺害され、その子蜂子皇子(562年誕生と推定)は迫害を恐れ、従弟の聖徳太子の勧めで仏門に入り「弘海」と称して出家しました。推古元年(593)出羽国由良(現鶴岡市)たどり着くと、3本足の八咫烏(やたがらす)が現れ羽黒山へ導かれたと伝えられています。蜂子皇子は岩窟で修行を積まれた後に羽黒山頂に社を創建し、続いて月山、湯殿山も開かれました。
蜂子皇子は怪異な容貌です。
(画像:出羽三山歴史博物館 特別企画「平癒と再生 感謝と祈りを」パンフレットより)

あまり人の来ないスギ林の方に宮内庁の案内がありました。

墓の囲いの中にもスギが立ち墓を守っているかのよう。

鉄扉には天皇家の家紋 十六菊の御紋。
余談ですが、この紋は中近東で古代から用いられたマークでもありました。エジプトのツタンカーメンの墓から出土した金皿にも、イスラエルの首都エルサレムのヘロデ門の城壁他にも。シュメール文明に関係しているという説があります。

出羽三山神社。羽黒山(現生)・月山(前世)・湯殿山(来世)が祀られている三神合祭殿です。国指定重要文化財。
手前の池は鏡池。御手洗といわれ、水面に映る本社を遥拝する信仰がありました。

鏡池の御祭神は羽黒神は水の神である九頭龍王です。昇龍降龍が建立されています。

厳島(いつくしま)神社の龍の彫刻が見事です。

住所 山形県鶴岡市羽黒町手向字手向7
交通 JR羽越本線「鶴岡駅」よりバス①「羽黒山頂」行き乗車終点下車
蜂子皇子墓MAP
●山形県鶴岡市羽黒町
●撮影年月日 2022年10月11日
仏教推進の蘇我氏と神道派の物部氏の宗教戦争で蘇我氏が勝利した後、多くの皇族が迫害を受け崇峻天皇も殺害され、その子蜂子皇子(562年誕生と推定)は迫害を恐れ、従弟の聖徳太子の勧めで仏門に入り「弘海」と称して出家しました。推古元年(593)出羽国由良(現鶴岡市)たどり着くと、3本足の八咫烏(やたがらす)が現れ羽黒山へ導かれたと伝えられています。蜂子皇子は岩窟で修行を積まれた後に羽黒山頂に社を創建し、続いて月山、湯殿山も開かれました。
蜂子皇子は怪異な容貌です。
(画像:出羽三山歴史博物館 特別企画「平癒と再生 感謝と祈りを」パンフレットより)

あまり人の来ないスギ林の方に宮内庁の案内がありました。

墓の囲いの中にもスギが立ち墓を守っているかのよう。

鉄扉には天皇家の家紋 十六菊の御紋。
余談ですが、この紋は中近東で古代から用いられたマークでもありました。エジプトのツタンカーメンの墓から出土した金皿にも、イスラエルの首都エルサレムのヘロデ門の城壁他にも。シュメール文明に関係しているという説があります。

出羽三山神社。羽黒山(現生)・月山(前世)・湯殿山(来世)が祀られている三神合祭殿です。国指定重要文化財。
手前の池は鏡池。御手洗といわれ、水面に映る本社を遥拝する信仰がありました。

鏡池の御祭神は羽黒神は水の神である九頭龍王です。昇龍降龍が建立されています。

厳島(いつくしま)神社の龍の彫刻が見事です。

住所 山形県鶴岡市羽黒町手向字手向7
交通 JR羽越本線「鶴岡駅」よりバス①「羽黒山頂」行き乗車終点下車
蜂子皇子墓MAP
Posted on 2022/12/04 Sun. 04:55 [edit]
山の神のケヤキ
県道333号線沿いの「山の神」バス停を降りるとすぐ、大ケヤキが見えました。枝ぶりが凄い。しっかりした根張りや低い位置から逞しく伸びる大枝の迫力。傾いて生えているのは、昔、境内は赤川の川岸で船をつないだ所だったそうで、度重なる洪水を受けたためかもしれません。
●山形県東田川郡三川町
●三川町指定天然記念物
●撮影年月日 2022年10月11日




山の神神社
創建は不明ですが、鳥居に寛政6年(1794)の銘があり、また向拝柱の斗組に嘉永3年(1850)再建の墨書銘が残っています。御祭神は大山祇命。
三川町は平野にありますが山の神を祀ります。山の神は春には山から下りてきて田の神になり、秋の収穫が終わると山に帰るといわれています。安産・豊穣・狩猟・漁労・家内安全の神として多様な信仰があります。
三川町観光協会HPにある山の神様の伝説によると、山の神様は近くにあった沼から上がった神様だと伝えられ、子どもと遊ぶのが大好きで、境内は子どもたちで賑わって、神様の首に縄を巻いて引きずり回して遊んでいました。それを見た大人たちが、山の神様を野ざらしにしては申し訳ないと、お堂を立ててお堂を立てて安置しました。
山の神様は女の神様で、夫婦・お産の神様として信仰されています。
この神様は容貌が悪く、自分より容貌が悪いオコゼを上げると喜ぶので、漁師の人が『オコゼ』を奉納していたそうです。

住所 山形県東田川郡三川町押切新田字前川原247
交通 JR羽越本線「鶴岡駅」よりバス①「イオンモール三川」行き乗車「山の神」下車すぐ
山の神のケヤキMAP
●山形県東田川郡三川町
●三川町指定天然記念物
案内板(1989) | 実測(2022) | ||
樹高 | 25m | ||
幹周 | 7.05m | 8.67m | |
推定樹齢 | 350~400年 |
●撮影年月日 2022年10月11日




山の神神社
創建は不明ですが、鳥居に寛政6年(1794)の銘があり、また向拝柱の斗組に嘉永3年(1850)再建の墨書銘が残っています。御祭神は大山祇命。
三川町は平野にありますが山の神を祀ります。山の神は春には山から下りてきて田の神になり、秋の収穫が終わると山に帰るといわれています。安産・豊穣・狩猟・漁労・家内安全の神として多様な信仰があります。
三川町観光協会HPにある山の神様の伝説によると、山の神様は近くにあった沼から上がった神様だと伝えられ、子どもと遊ぶのが大好きで、境内は子どもたちで賑わって、神様の首に縄を巻いて引きずり回して遊んでいました。それを見た大人たちが、山の神様を野ざらしにしては申し訳ないと、お堂を立ててお堂を立てて安置しました。
山の神様は女の神様で、夫婦・お産の神様として信仰されています。
この神様は容貌が悪く、自分より容貌が悪いオコゼを上げると喜ぶので、漁師の人が『オコゼ』を奉納していたそうです。

住所 山形県東田川郡三川町押切新田字前川原247
交通 JR羽越本線「鶴岡駅」よりバス①「イオンモール三川」行き乗車「山の神」下車すぐ
山の神のケヤキMAP
湯田川の乳イチョウ
源泉かけ流しの湯田川温泉の守り神として鎮座する由豆佐売(ゆずさめ)神社。その参道右側の傾斜地に立つ御神木の大イチョウです。大きな乳根をいくつも持ち、乳イチョウとして古くから乳の出を願う信仰の木でもあります。
●山形県鶴岡市
●山形県指定天然記念物
※山形の宝検索navi 37m 7.3m
●周辺巨樹 水沢 熊野神社の大杉(約2.4㎞)
●撮影年月日 2022年10月11日

根元には祠や庚申塔が祀られています。



参道入口の二本杉も立派。

由豆佐売神社
創建は白雉元年(650)、古書「三代実録」や延喜5年(905)に起草の延喜式神名帳に記載のある式内社です。御祭神は、溝檝姫命、大己貴神、少彦名神。
現在の拝殿は、安永年間(1772~81)の造営で、昔は観音堂と称し十一面観音を祀り、社名も滝蔵権現と称して、神仏習合時代の密教寺院に多く見られる平面構造です。本殿は、明治15年(1882)宮大工の棟梁、高橋兼吉によって造営されました。

住所 山形県鶴岡市湯田川岩清水86
交通 JR羽越本線「鶴岡駅」よりバス①「湯田川温泉」「越沢」行き乗車「湯田川温泉」下車約150m
由豆佐売神社MAP
●山形県鶴岡市
●山形県指定天然記念物
※ | |||
樹高 | 37m | ||
幹周 | 7.3m | ||
推定樹齢 |
●周辺巨樹 水沢 熊野神社の大杉(約2.4㎞)
●撮影年月日 2022年10月11日

根元には祠や庚申塔が祀られています。



参道入口の二本杉も立派。

由豆佐売神社
創建は白雉元年(650)、古書「三代実録」や延喜5年(905)に起草の延喜式神名帳に記載のある式内社です。御祭神は、溝檝姫命、大己貴神、少彦名神。
現在の拝殿は、安永年間(1772~81)の造営で、昔は観音堂と称し十一面観音を祀り、社名も滝蔵権現と称して、神仏習合時代の密教寺院に多く見られる平面構造です。本殿は、明治15年(1882)宮大工の棟梁、高橋兼吉によって造営されました。

住所 山形県鶴岡市湯田川岩清水86
交通 JR羽越本線「鶴岡駅」よりバス①「湯田川温泉」「越沢」行き乗車「湯田川温泉」下車約150m
由豆佐売神社MAP
水沢 熊野神社の大杉
雨上がりで滑りやすい参道の石段をゆっくり上がっていくと、やがて社殿の後方にそびえ立つ大杉が見えました。古くは「石山の大杉」「田川の大杉」として知られてきました。
延長年間(923~931)に籠大明神(水上宮)を大杉の許に遷し奉ったと伝わることから、樹齢1000年以上と推定されています。神代杉とも称えられたと伝えられ、大正15年(1926)秋、林学博士三好学氏の調査では推定樹齢2300~2400年以上とされました。
●山形県鶴岡市
●国指定天然記念物
※熊野神社社務所配布物
※※※環境省 巨樹・巨木林データベース
●周辺巨樹 湯田川の乳イチョウ(約2.4㎞)
●撮影年月日 2022年10月11日

昭和7年(1932)の落雷で内部が炎上、昭和32年(1957)の風速42.9mの台風で損傷しましたが、威厳は変わらず。


空洞化したところに籠大明神が祀られています。

龍の化身のように思えたり。

水沢 熊野神社
社務所作成の大杉の案内チラシによると、延長年間(923~931)宇弊山龍ケ池(現熊野長峰、湿原地帯)のほとりより、籠大明神(水分神)即ち水上宮を大杉の許に遷し奉ったということです。

参道入口

住所 山形県鶴岡市水沢 字熊野前53
交通 JR羽越本線「鶴岡駅」よりバス①「越沢」行き乗車「中河原」下車約300m
水宮 熊野神社MAP
延長年間(923~931)に籠大明神(水上宮)を大杉の許に遷し奉ったと伝わることから、樹齢1000年以上と推定されています。神代杉とも称えられたと伝えられ、大正15年(1926)秋、林学博士三好学氏の調査では推定樹齢2300~2400年以上とされました。
●山形県鶴岡市
●国指定天然記念物
※ | ※※(2018) | ||
樹高 | 24m | 24m | |
幹周 | 10m | 11.05m | |
推定樹齢 | 2300~2400年 | 伝承1000年 |
※※※環境省 巨樹・巨木林データベース
●周辺巨樹 湯田川の乳イチョウ(約2.4㎞)
●撮影年月日 2022年10月11日

昭和7年(1932)の落雷で内部が炎上、昭和32年(1957)の風速42.9mの台風で損傷しましたが、威厳は変わらず。


空洞化したところに籠大明神が祀られています。

龍の化身のように思えたり。

水沢 熊野神社
社務所作成の大杉の案内チラシによると、延長年間(923~931)宇弊山龍ケ池(現熊野長峰、湿原地帯)のほとりより、籠大明神(水分神)即ち水上宮を大杉の許に遷し奉ったということです。

参道入口

住所 山形県鶴岡市水沢 字熊野前53
交通 JR羽越本線「鶴岡駅」よりバス①「越沢」行き乗車「中河原」下車約300m
水宮 熊野神社MAP
大通寺のケヤキ
大通寺に着いたら、お寺の中にある幼稚園の子どもたちが運動会の練習の真っ最中。目当てのケヤキは門の近くに立っていたので、幼稚園の先生に許可をいただき写真を撮りました。ケヤキと同じく「新田の名木」指定の「冠掛けの松」は本堂のそばなので近くには行かれず、写真撮るのを見送りました。
●群馬県太田市
●新田の名木
●周辺巨樹 反町薬師のクスノキ(約2.2㎞)
●撮影年月日 2022年9月27日
昭和41年(1966)の台風26号で損傷しました。

終戦直後までは金毘羅宮がケヤキに接して鎮座していたそうです。現在は園児の遊具がそばに。園児が元気に遊ぶ姿を見守り続けています。



大通寺
曹洞宗の寺院です。ご本尊は釈迦牟尼仏。天文2年(1533)太田金山城主 横瀬泰繁の先室(大通寺殿蘭室玄芳大姉)の開基です。

住所 群馬県太田市新田木崎町1391-1
交通 東武伊勢崎線「木崎駅」より約1.9㎞
「木崎駅」南口より太田市営バス西バス系統「薮塚駅」「ジョイフル本田新田店」行き乗車「木崎郵便局」下車約250m
大通寺MAP
●群馬県太田市
●新田の名木
案内板(2005) | |||
樹高 | 15m | ||
幹周 | 6.4m | ||
推定樹齢 | 500年以上 |
●周辺巨樹 反町薬師のクスノキ(約2.2㎞)
●撮影年月日 2022年9月27日
昭和41年(1966)の台風26号で損傷しました。

終戦直後までは金毘羅宮がケヤキに接して鎮座していたそうです。現在は園児の遊具がそばに。園児が元気に遊ぶ姿を見守り続けています。



大通寺
曹洞宗の寺院です。ご本尊は釈迦牟尼仏。天文2年(1533)太田金山城主 横瀬泰繁の先室(大通寺殿蘭室玄芳大姉)の開基です。

住所 群馬県太田市新田木崎町1391-1
交通 東武伊勢崎線「木崎駅」より約1.9㎞
「木崎駅」南口より太田市営バス西バス系統「薮塚駅」「ジョイフル本田新田店」行き乗車「木崎郵便局」下車約250m
大通寺MAP
生品(いくしな)神社のクスノキ群とクヌギの切株
南北朝時代の武将新田義貞ゆかりの生品神社は、かつては幹周6mあったと伝わるクヌギの切株が大事に保存されていますが、参道のクスノキ群も見事です。市の教育委員会に伺ったところ、クスノキは新田義貞公挙兵(1333年)600年を記念して、昭和8年(1933)に植樹されたということです。なのでまだ若いクスです。クスは成長が目覚ましい。
●群馬県太田市
●太田市指定重要文化財(クヌギの古木)
●撮影年月日 2022年9月27日

壮観です。

鳥居に近いクスノキは5本に分かれて幹周約5.71mで、境内最大です。左隣のクスノキも5本に分かれて幹周約4.37m。

赤い神橋そばのクスノキは3本に分かれて幹周約5.36m。

社殿手前に「神代木」の名のクヌギの切株の御神木。新田義貞が元弘3年(1333)挙兵の際、大中黒の新田旗をこのクヌギに掲げ、戦勝を祈願したと伝えられています。

鬱蒼と繁茂し、幹周2丈(6.06m)、樹高10丈(30.3m)に達していましたが、明治37年(1904)6月9日、白昼静穏の時に大音響をたて倒れました。市指定重要文化財として幹の一部が保存されていますが、風化により腐朽してきたため平成11年(1999)に樹脂加工による保存処理を行い、覆屋も新築されました。

生品神社
平安時代編纂の『上野国神名帳』に「新田郡従三位生階明神」と記載されています。主祭神は大穴牟遅神(大国主)。
昭和9年(1934)に「生品神社境内新田義貞挙兵伝説地」として国史跡に指定され、平成12年(2000)に新田荘関連の他の10か所の遺跡も含めて面積を広げ「新田荘遺跡」として国指定史跡に指定されました。
新田義貞が挙兵した日にちなんで毎年5月8日に「鏑矢祭(かぶらやさい)」が行われています。

住所 群馬県太田市新田市野井町645
交通 東武伊勢崎線・東武桐生線・東武小泉線「太田駅」北口より太田市コミュニティバス太田線「新田暁高校」行き乗車「生品神社入口」下車北へ約1.1㎞
生品神社MAP
●群馬県太田市
●太田市指定重要文化財(クヌギの古木)
●撮影年月日 2022年9月27日

壮観です。

鳥居に近いクスノキは5本に分かれて幹周約5.71mで、境内最大です。左隣のクスノキも5本に分かれて幹周約4.37m。

赤い神橋そばのクスノキは3本に分かれて幹周約5.36m。

社殿手前に「神代木」の名のクヌギの切株の御神木。新田義貞が元弘3年(1333)挙兵の際、大中黒の新田旗をこのクヌギに掲げ、戦勝を祈願したと伝えられています。

鬱蒼と繁茂し、幹周2丈(6.06m)、樹高10丈(30.3m)に達していましたが、明治37年(1904)6月9日、白昼静穏の時に大音響をたて倒れました。市指定重要文化財として幹の一部が保存されていますが、風化により腐朽してきたため平成11年(1999)に樹脂加工による保存処理を行い、覆屋も新築されました。

生品神社
平安時代編纂の『上野国神名帳』に「新田郡従三位生階明神」と記載されています。主祭神は大穴牟遅神(大国主)。
昭和9年(1934)に「生品神社境内新田義貞挙兵伝説地」として国史跡に指定され、平成12年(2000)に新田荘関連の他の10か所の遺跡も含めて面積を広げ「新田荘遺跡」として国指定史跡に指定されました。
新田義貞が挙兵した日にちなんで毎年5月8日に「鏑矢祭(かぶらやさい)」が行われています。

住所 群馬県太田市新田市野井町645
交通 東武伊勢崎線・東武桐生線・東武小泉線「太田駅」北口より太田市コミュニティバス太田線「新田暁高校」行き乗車「生品神社入口」下車北へ約1.1㎞
生品神社MAP
村檜(むらひ)神社のスギ
延喜式神名帳に下野國の式内社として記載のあった村檜神社の広大な社叢は町指定天然記念物になっています。その中で目を引く3本のスギの巨樹。案内板では樹齢1000年とありましたが、そこまではいかなさそう。でも古い神社の歴史と共に、武将や豪族、数多くの崇拝者を迎えてきました。
●栃木県栃木市
●岩舟町指定天然記念物(社叢)
●撮影年月日 2022年9月11日
参道入口そばにスギの巨樹。

幹周約6.12m。

参道を進むと階段があり、階段左手にも巨樹。

神門をくぐると社殿向かって左側にあるスギ。

幹周約6.46m。


村檜神社
創建は大化2年(646)と伝わります。御祭神は誉田別命、熊野大神、大山咋命の二柱。延喜5年(905)編纂の神名帳に下野國の式内社として記載されています。中世では地元の小野寺氏や佐野氏の崇敬を集めました。
社殿は室町後期の建物で三間社春日造り、檜皮葦きの屋根で、国指定重要文化財です。

神門

災いなんて吹き飛ばすって感じで狛犬が笑ってます。

住所 栃木県栃木市岩舟町小野寺4697
交通 JR両毛線・東武日光線「栃木駅」北口よりバス小野寺線「遊楽々館」行き乗車「村檜神社入口」下車約290m
村檜神社MAP
●栃木県栃木市
●岩舟町指定天然記念物(社叢)
●撮影年月日 2022年9月11日
参道入口そばにスギの巨樹。

幹周約6.12m。

参道を進むと階段があり、階段左手にも巨樹。

神門をくぐると社殿向かって左側にあるスギ。

幹周約6.46m。


村檜神社
創建は大化2年(646)と伝わります。御祭神は誉田別命、熊野大神、大山咋命の二柱。延喜5年(905)編纂の神名帳に下野國の式内社として記載されています。中世では地元の小野寺氏や佐野氏の崇敬を集めました。
社殿は室町後期の建物で三間社春日造り、檜皮葦きの屋根で、国指定重要文化財です。

神門

災いなんて吹き飛ばすって感じで狛犬が笑ってます。


住所 栃木県栃木市岩舟町小野寺4697
交通 JR両毛線・東武日光線「栃木駅」北口よりバス小野寺線「遊楽々館」行き乗車「村檜神社入口」下車約290m
村檜神社MAP
八幡(はちまん)神社の大イチョウ
寛永19年(1642)古河城内にあった八幡神社を、古河城の鬼門除けとして現在地に遷座した時に植樹されたと推察されています。元の樹高は30.73mあったそうですが、倒木の恐れがあったために平成12年(2000)1月11日に上部の切除作業が行われました。案内板では樹高14.20mとなっていますが、遥かに伸びていました。
●茨城県古河市
●古河市指定天然記念物
●周辺巨樹 小蓋宮の大ケヤキ(約1.3㎞) 雷電神社の椎(約1.5㎞) 雷電神社の欅(約1.5㎞)
●撮影年月日 2022年8月29日




本町 八幡神社
江戸時代に著された『古河志』に記された創建は2説あります。社伝では文安3年(1446)初代古河公方の足利成氏が鎌倉の鶴岡八幡宮を勧請し、のちに古河城三の丸に創建。また小山観音寺の記録の引用では、大永元年(1521)第二代古河公方の足利政氏が城内に勧請したということです。寛永19年(1642)古河城主の土井利勝により、城の鬼門除けとして古河城下の現在地に移設されました。
御祭神は誉田別命(ホンダワケノミコト)、合祀された神に伊弉冊命(イザナミノミコト)、火産霊命(ホムスビノミコト)。

住所 茨城県古河市本町2-15-15
交通 JR東北本線(宇都宮線)古河駅西口より約650m
八幡神社MAP
●茨城県古河市
●古河市指定天然記念物
案内板 | 実測(2022) | ||
樹高 | 14.20m | 約27m | |
幹周 | 6.4m | 約6.72m | |
推定樹齢 | 380年(1642年植樹) |
●周辺巨樹 小蓋宮の大ケヤキ(約1.3㎞) 雷電神社の椎(約1.5㎞) 雷電神社の欅(約1.5㎞)
●撮影年月日 2022年8月29日




本町 八幡神社
江戸時代に著された『古河志』に記された創建は2説あります。社伝では文安3年(1446)初代古河公方の足利成氏が鎌倉の鶴岡八幡宮を勧請し、のちに古河城三の丸に創建。また小山観音寺の記録の引用では、大永元年(1521)第二代古河公方の足利政氏が城内に勧請したということです。寛永19年(1642)古河城主の土井利勝により、城の鬼門除けとして古河城下の現在地に移設されました。
御祭神は誉田別命(ホンダワケノミコト)、合祀された神に伊弉冊命(イザナミノミコト)、火産霊命(ホムスビノミコト)。

住所 茨城県古河市本町2-15-15
交通 JR東北本線(宇都宮線)古河駅西口より約650m
八幡神社MAP
東光寺の椎
天承年間(1131~1132)に堂宇を再興した際に植樹されたと伝わります。シイは暖帯性なので、茨城・栃木・群馬の北関東が北限です。このシイも北限に近い貴重な巨樹です。
幹の半分は日本樹木保護協会により蘇生外科治療が施され人工的な姿ですが、裏に回ると古木然としたシイを見ることができます。
●茨城県古河市
●古河市指定天然記念物
●撮影年月日 2022年8月29日
山門をくぐると右手にシイ。全面治療されています。

裏側に枝葉が大きく伸びています。


シイ本来の姿は健在。

次世代のシイも育っています。

東光寺
真言宗の寺院です。平将門の四男が創建したとも、承平年間(931~938)の将門の乱で焼失、約200年後の天承年間(1131~1132)再興されました。

住所 茨城県古河市前林1765
交通 JR東北本線(宇都宮線)「古河駅」西口より朝日バス「境車庫」行き「朝日タクシー前」乗車「釈迦小入口」下車約1.8㎞
東光寺MAP
幹の半分は日本樹木保護協会により蘇生外科治療が施され人工的な姿ですが、裏に回ると古木然としたシイを見ることができます。
●茨城県古河市
●古河市指定天然記念物
案内板(1995) | |||
樹高 | 約15m | ||
幹周 | 約5.8m | ||
推定樹齢 | およそ1000年 |
●撮影年月日 2022年8月29日
山門をくぐると右手にシイ。全面治療されています。

裏側に枝葉が大きく伸びています。


シイ本来の姿は健在。

次世代のシイも育っています。

東光寺
真言宗の寺院です。平将門の四男が創建したとも、承平年間(931~938)の将門の乱で焼失、約200年後の天承年間(1131~1132)再興されました。

住所 茨城県古河市前林1765
交通 JR東北本線(宇都宮線)「古河駅」西口より朝日バス「境車庫」行き「朝日タクシー前」乗車「釈迦小入口」下車約1.8㎞
東光寺MAP
野木神社のケヤキ
野木神社は足利氏の執政の末、乱で神領を奪われ社殿も破壊されましたが、長禄3年(1459)に神官の海老沼常基が再興した時に、鎮守の森に育つよう社前に数多くの木々を植えたといわれています。このケヤキは、それ以前にあったものと推測されています。
●栃木県下都賀郡
●野木町指定天然記念物
※環境省 巨樹・巨木林データベース
●周辺巨樹 野木神社の大イチョウ
●撮影年月日 2022年8月29日



●撮影年月日 2014年5月4日


野木神社
創建は仁徳天皇の時代(4世紀末~5世紀前半)。延暦年間(782~806)征夷大将軍、坂上田村麻呂が蝦夷を平定し都へ凱旋の途中にここに詣で、鎮撫は「神の助け」として、お礼に社殿を新築し現在地に遷座したと伝えられています。主祭神は応神天皇の皇太子 菟道稚郎子命(うじのわきいらつこのみこと)。
文化3年(1806)の火災で社殿を全て焼失、文政2年(1819)に古河城主土井利厚によって再建されました。

住 所 栃木県下都賀郡野木町野木2404
交 通 JR東北本線「古河駅」より約2.6km
古河駅西口より約700mの「お休み処 坂長」にレンタサイクルあり
野木神社MAP
●栃木県下都賀郡
●野木町指定天然記念物
案内板 | ※(1988) | 実測(2022) | |
樹高 | 40m | ||
幹周 | 6.17m | 約8.18m | |
推定樹齢 | 650年以上 |
●周辺巨樹 野木神社の大イチョウ
●撮影年月日 2022年8月29日



●撮影年月日 2014年5月4日


野木神社
創建は仁徳天皇の時代(4世紀末~5世紀前半)。延暦年間(782~806)征夷大将軍、坂上田村麻呂が蝦夷を平定し都へ凱旋の途中にここに詣で、鎮撫は「神の助け」として、お礼に社殿を新築し現在地に遷座したと伝えられています。主祭神は応神天皇の皇太子 菟道稚郎子命(うじのわきいらつこのみこと)。
文化3年(1806)の火災で社殿を全て焼失、文政2年(1819)に古河城主土井利厚によって再建されました。

住 所 栃木県下都賀郡野木町野木2404
交 通 JR東北本線「古河駅」より約2.6km
古河駅西口より約700mの「お休み処 坂長」にレンタサイクルあり
野木神社MAP
野木神社の大イチョウ
案内板によると、この大イチョウは、平安時代延暦年間(782~806)に征夷大将軍坂上田村麻呂が凱旋の途中、野木神社に参りその功を奏で奉賽として、神社を笠懸野台手函(現在の野渡大手箱)から現在の「身隠の森」に移築し、記念にイチョウの木を奉植したものと伝えられています。
野木町はふくろうの営巣は数か所で確認されていて「町鳥」指定です。野木神社もふくろうが生息し、普段はあまり目にできませんが、12月頃と子育て時期の5~6月には見ることができるそうです。
●栃木県下都賀郡野木町
●野木町指定文化財 とちぎ名木百選
※環境省 巨樹・巨木林データベース
●周辺巨樹 野木神社のケヤキ
●撮影年月日 2022年8月29日




大イチョウは乳根が多いので乳信仰があります。
大イチョウのそばに、母親の乳が出て乳児が健全に育つよう白布で作った乳房が奉納されています。

同じく大イチョウのそばに、2014年に来た時すでにあった幹らしきものが今も置かれています。

写真では分かりにくいですが、よく見ると新しいケヤキの枝があちこちから伸びています。まさに倒木更新。

●撮影年月日 2014年5月4日


野木神社
創建は仁徳天皇の時代(4世紀末~5世紀前半)。延暦年間(782~806)征夷大将軍、坂上田村麻呂が蝦夷を平定し都へ凱旋の途中にここに詣で、鎮撫は「神の助け」として、お礼に社殿を新築し現在地に遷座したと伝えられています。主祭神は応神天皇の皇太子 菟道稚郎子命(うじのわきいらつこのみこと)。
文化3年(1806)の火災で社殿を全て焼失、文政2年(1819)に古河城主土井利厚によって再建されました。

住 所 栃木県下都賀郡野木町野木2404
交 通 JR東北本線「古河駅」より約2.6km
古河駅西口より約700mの「お休み処 坂長」にレンタサイクルあり
野木神社MAP
野木町はふくろうの営巣は数か所で確認されていて「町鳥」指定です。野木神社もふくろうが生息し、普段はあまり目にできませんが、12月頃と子育て時期の5~6月には見ることができるそうです。
●栃木県下都賀郡野木町
●野木町指定文化財 とちぎ名木百選
案内板(1982) | ※(1988) | ||
樹高 | 13m | ||
幹周 | 9.67m(株立5本 主幹7.3m) | ||
推定樹齢 | 1200年 | 300年以上 |
●周辺巨樹 野木神社のケヤキ
●撮影年月日 2022年8月29日




大イチョウは乳根が多いので乳信仰があります。
大イチョウのそばに、母親の乳が出て乳児が健全に育つよう白布で作った乳房が奉納されています。

同じく大イチョウのそばに、2014年に来た時すでにあった幹らしきものが今も置かれています。

写真では分かりにくいですが、よく見ると新しいケヤキの枝があちこちから伸びています。まさに倒木更新。

●撮影年月日 2014年5月4日


野木神社
創建は仁徳天皇の時代(4世紀末~5世紀前半)。延暦年間(782~806)征夷大将軍、坂上田村麻呂が蝦夷を平定し都へ凱旋の途中にここに詣で、鎮撫は「神の助け」として、お礼に社殿を新築し現在地に遷座したと伝えられています。主祭神は応神天皇の皇太子 菟道稚郎子命(うじのわきいらつこのみこと)。
文化3年(1806)の火災で社殿を全て焼失、文政2年(1819)に古河城主土井利厚によって再建されました。

住 所 栃木県下都賀郡野木町野木2404
交 通 JR東北本線「古河駅」より約2.6km
古河駅西口より約700mの「お休み処 坂長」にレンタサイクルあり
野木神社MAP
谷貝(やがい)香取神社のエノキ
樹勢良くのびのびと枝を伸ばした姿かたちの良いエノキの過去の写真を見ていたので、幹を大きく損傷し大枝も落とされた姿に心が痛みましたが、新たに伸びて繁る枝葉が力強い生命を謳歌しているように思えました。
●茨城県古河市
※環境省 巨樹・巨木林データベース
●撮影年月日 2022年8月29日



参道の両側のスダジイがなんだか鳥居のようです。

遠方から見ると、こんもりとした樹冠。

谷貝香取神社

左から天満宮、神明社、弁財天、稲荷大明神

住所 茨城県古河市谷貝686
交通 JR東北本線(宇都宮線)「古河駅」東口よりJRバス関東「大網」行き乗車「東山田」下車約2.2㎞
谷貝香取神社MAP
●茨城県古河市
※(2000) | |||
樹高 | 23m | ||
幹周 | 5m | ||
推定樹齢 | 200~299年 |
●撮影年月日 2022年8月29日



参道の両側のスダジイがなんだか鳥居のようです。

遠方から見ると、こんもりとした樹冠。

谷貝香取神社

左から天満宮、神明社、弁財天、稲荷大明神

住所 茨城県古河市谷貝686
交通 JR東北本線(宇都宮線)「古河駅」東口よりJRバス関東「大網」行き乗車「東山田」下車約2.2㎞
谷貝香取神社MAP
熊野皇大神社のシナノキ
熊野皇大神宮は、長野県と群馬県の県境に鎮座するため2つの宗教法人が管理し、一つの神社でありながら長野県側が那智宮(熊野皇大神社)、群馬県側が新宮(碓氷峠熊野神社)、県境の中央に本宮となっています。
御神木のシナノキは、長野県側の境内の塚の上に鎮座しています。長野県はシナノキ多く「信濃」の由来になったという説があります。シナノキの樹皮は繊維が強く柔軟なので布や縄などの材料として利用され、巨木のシナノキは少ないそうです。
●長野県北佐久郡軽井沢町
●長野県指定天然記念物
※公益財団法人 八十二文化財団HP
●撮影年月日 2022年7月9日
縁結び・開運のパワースポットで、若い女性に多く参拝されています。

主幹の上部は失われて、多くの枝が伸びています。


御神木の周りは石畳が敷かれて一周できます。

石畳の中にハート形のものが。

そこから幹を見ると、注連縄の上にハート形の穴があり、縁結びにご利益があるそう。

根石が祀られています。シナノキの根と絡み合っているとされ、触ることで御神木の力をよりいただけるとされています。

御神木のイチイ。『熊野権現御垂迹縁起』によると、熊野の神は熊野本宮大斎原の三本のイチイの木に天下られたということです。
碓氷峠熊野神社の「木霊守」の御守がありました。

神社を出て200m位離れた見晴らし台からの眺め。見晴らし台の標高は1180m。

熊野皇大神社
創建は景行天皇40年(110)10月。日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が碓氷峠を通りかかると深い霧に覆われました。その時、一羽の八咫烏(ヤタガラス)が現れて梛の葉を落としながら先導するので、後をついて行き無事に登頂できたと言い伝えられています。
その昔、先祖の神武天皇を熊野国(和歌山)から大和国(奈良)へと導いたのも八咫烏だったことから、日本武尊は今回も熊野神霊の御加護によるものと感謝し、熊野三社を祀ったと伝えられています。

住所 長野県北佐久郡軽井沢町峠町碓氷峠
交通 JR北陸新幹線「軽井沢駅」北口より約850mのハーヴェストクラブ旧軽井沢より軽井沢赤バス「旧碓氷峠 見晴台」行き乗車終点下車
軽井沢赤バス情報
熊野皇大神社MAP
御神木のシナノキは、長野県側の境内の塚の上に鎮座しています。長野県はシナノキ多く「信濃」の由来になったという説があります。シナノキの樹皮は繊維が強く柔軟なので布や縄などの材料として利用され、巨木のシナノキは少ないそうです。
●長野県北佐久郡軽井沢町
●長野県指定天然記念物
※ | |||
樹高 | 13.5m | ||
幹周 | 5.8m | ||
推定樹齢 | 850年 |
●撮影年月日 2022年7月9日
縁結び・開運のパワースポットで、若い女性に多く参拝されています。

主幹の上部は失われて、多くの枝が伸びています。


御神木の周りは石畳が敷かれて一周できます。

石畳の中にハート形のものが。

そこから幹を見ると、注連縄の上にハート形の穴があり、縁結びにご利益があるそう。

根石が祀られています。シナノキの根と絡み合っているとされ、触ることで御神木の力をよりいただけるとされています。

御神木のイチイ。『熊野権現御垂迹縁起』によると、熊野の神は熊野本宮大斎原の三本のイチイの木に天下られたということです。
碓氷峠熊野神社の「木霊守」の御守がありました。

神社を出て200m位離れた見晴らし台からの眺め。見晴らし台の標高は1180m。

熊野皇大神社
創建は景行天皇40年(110)10月。日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が碓氷峠を通りかかると深い霧に覆われました。その時、一羽の八咫烏(ヤタガラス)が現れて梛の葉を落としながら先導するので、後をついて行き無事に登頂できたと言い伝えられています。
その昔、先祖の神武天皇を熊野国(和歌山)から大和国(奈良)へと導いたのも八咫烏だったことから、日本武尊は今回も熊野神霊の御加護によるものと感謝し、熊野三社を祀ったと伝えられています。

住所 長野県北佐久郡軽井沢町峠町碓氷峠
交通 JR北陸新幹線「軽井沢駅」北口より約850mのハーヴェストクラブ旧軽井沢より軽井沢赤バス「旧碓氷峠 見晴台」行き乗車終点下車
軽井沢赤バス情報
熊野皇大神社MAP
旧軽井沢 諏訪神社の御神木
開発イメージの軽井沢、鎮守様の諏訪神社は変に手を付けず、でも手入れはされていて、歴史を保った雰囲気の良い神社です。巨木の多い社叢はケトチノキ、ケヤキ、ミズナラなど10余種余りが点在し町指定文化財になっています。環境省の巨樹巨木データベース(2000)では3.5m~6.5mの7本の木が登録されています。7本の御神木があり、七つの力をこめた「神樹守」という御守もあります。
●長野県北佐久郡軽井沢町
●軽井沢町指定天然記念物(社叢)
●撮影年月日 2022年7月9日
御神木ではありませんが、社殿そばに絵馬下げ用に御柱のように立つケヤキ。

多くの小さい祠と共にある御神木。

こちらは二股。実測幹周約5.15m。

近くにケトチノキ。葉の裏に軟毛が密生するのが特徴だそうですが、行った時は知らずに葉の裏を見て来ませんでした。

角度を変えたら大きく二股に。




道路沿いにミズナラの御神木。

旧軽井沢 諏訪神社
創建年代は不明ですが、軽井沢地方開拓当初、信州一宮諏訪大社から分霊勧請された軽井沢郷の鎮守産土神として崇拝されてきました。本殿は軽井沢宿が最も繁栄した元禄期(1688~1704)に再建されました。御祭神は主神に健御名方富命(タケミナカタトミノミコト)、妃神に八坂刀売命(ヤサカトメノミコト)。

住所 長野県北佐久郡軽井沢町軽井沢旧軽井沢865
交通 JR北陸新幹線・しなの鉄道「軽井沢駅」より約1.8㎞(駅そばにレンタサイクルあり)
旧軽井沢 諏訪神社MAP
●長野県北佐久郡軽井沢町
●軽井沢町指定天然記念物(社叢)
●撮影年月日 2022年7月9日
御神木ではありませんが、社殿そばに絵馬下げ用に御柱のように立つケヤキ。

多くの小さい祠と共にある御神木。

こちらは二股。実測幹周約5.15m。

近くにケトチノキ。葉の裏に軟毛が密生するのが特徴だそうですが、行った時は知らずに葉の裏を見て来ませんでした。

角度を変えたら大きく二股に。




道路沿いにミズナラの御神木。

旧軽井沢 諏訪神社
創建年代は不明ですが、軽井沢地方開拓当初、信州一宮諏訪大社から分霊勧請された軽井沢郷の鎮守産土神として崇拝されてきました。本殿は軽井沢宿が最も繁栄した元禄期(1688~1704)に再建されました。御祭神は主神に健御名方富命(タケミナカタトミノミコト)、妃神に八坂刀売命(ヤサカトメノミコト)。

住所 長野県北佐久郡軽井沢町軽井沢旧軽井沢865
交通 JR北陸新幹線・しなの鉄道「軽井沢駅」より約1.8㎞(駅そばにレンタサイクルあり)
旧軽井沢 諏訪神社MAP
江島杉山神社の焼けイチョウ
昭和20年(1945)の東京大空襲は、軍需施設など無い下町を狙い死者数10万人以上、罹災者100万人を超えました。第一次世界大戦後にハーグ空戦規則が採択され、軍事目標以外の民間人の無差別攻撃は禁止されたにも関わらず行われた大空襲は犯罪であり、戦争でなく大虐殺との指摘があります。人間だけでなく多くの樹木も焼かれ、傷跡を残しながら今なお生き残っている木はが無言で戦争被害を伝えています。
東京新聞の2019年8月26日付のネット記事で、戦災樹木調査の結果が載っていました。
「明治大の菅野博貢准教授(地域環境計画学)らの2014~15年度の調査で、都内の戦災樹木は「焼け焦げ跡」「傾き」「空洞」に特徴があり、焼失エリアの縁辺部に残りやすい傾向があったという。調査では、東京大空襲の被害が甚大だった台東、墨田、江東区で航空写真を基にほぼ全ての樹木をリストアップ。推定樹齢70年以上で戦災樹木の何らかの特徴があるのは台東区が204本、墨田区が94本、江東区でも74本に上ると推定した。」
●東京都墨田区
●墨田区保護樹木
●その他の戦災樹 榎稲荷神社のエノキ(枯死 墨田区 約1.4㎞) 飛木稲荷神社の大イチョウ(墨田区) 浅草寺の銀杏(台東区) 榮松院のシイ(文京区) 光圓寺のイチョウ(文京区) 源長寺の大欅(足立区 枯死) 赤坂氷川神社の大イチョウ(港区) 王子神社のイチョウ(北区)
●撮影年月日 2022年6月30日




江島杉山神社
幼少時に盲目になった鍼灸師杉山検校(1610~1694)が綱吉公の難病を治療した功により「何か望みの物はないか」との問いに「唯一つ 目が欲しゅうございます」と答え、ここ本所一ツ目に総録屋敷の領地を賜わり、深く信仰していた江ノ島弁財天が屋敷内に勧請。本所一ツ目弁天社と呼ばれ江戸名所となり、多くの信仰を集めました。明治4年(1871)当道座組織が廃止され総録屋敷も没収されましたが、当社は綱吉公が古跡並の扱いとしたため残され、社名も江島神社となりました。明治23年(1890)杉山和一霊牌所即明庵も再興し、境内に杉山神社を創祀。震災、戦災で二つの社殿とも焼失しましたが、昭和27年(1952)合祀し、江島杉山神社となりました。

岩屋があります。江の島の洞窟を模して寛政5年(1793)に造られました。関東大震災では被害がありませんでしたが、東京大空襲の火炎で天井の石に亀裂を生じて壊れ落ちたということです。火の勢いがすさまじかったことが分かります。

杉山和一総検校が祀られています。

宇賀神(人頭蛇尾)。

宗像三女神。

住所 東京都墨田区千歳1-8-2
交通 JR総武線・都営地下鉄大江戸線「両国駅」西口・都営地下鉄新宿線「森下駅」より約650m
江島杉山神社MAP
東京新聞の2019年8月26日付のネット記事で、戦災樹木調査の結果が載っていました。
「明治大の菅野博貢准教授(地域環境計画学)らの2014~15年度の調査で、都内の戦災樹木は「焼け焦げ跡」「傾き」「空洞」に特徴があり、焼失エリアの縁辺部に残りやすい傾向があったという。調査では、東京大空襲の被害が甚大だった台東、墨田、江東区で航空写真を基にほぼ全ての樹木をリストアップ。推定樹齢70年以上で戦災樹木の何らかの特徴があるのは台東区が204本、墨田区が94本、江東区でも74本に上ると推定した。」
●東京都墨田区
●墨田区保護樹木
●その他の戦災樹 榎稲荷神社のエノキ(枯死 墨田区 約1.4㎞) 飛木稲荷神社の大イチョウ(墨田区) 浅草寺の銀杏(台東区) 榮松院のシイ(文京区) 光圓寺のイチョウ(文京区) 源長寺の大欅(足立区 枯死) 赤坂氷川神社の大イチョウ(港区) 王子神社のイチョウ(北区)
●撮影年月日 2022年6月30日




江島杉山神社
幼少時に盲目になった鍼灸師杉山検校(1610~1694)が綱吉公の難病を治療した功により「何か望みの物はないか」との問いに「唯一つ 目が欲しゅうございます」と答え、ここ本所一ツ目に総録屋敷の領地を賜わり、深く信仰していた江ノ島弁財天が屋敷内に勧請。本所一ツ目弁天社と呼ばれ江戸名所となり、多くの信仰を集めました。明治4年(1871)当道座組織が廃止され総録屋敷も没収されましたが、当社は綱吉公が古跡並の扱いとしたため残され、社名も江島神社となりました。明治23年(1890)杉山和一霊牌所即明庵も再興し、境内に杉山神社を創祀。震災、戦災で二つの社殿とも焼失しましたが、昭和27年(1952)合祀し、江島杉山神社となりました。

岩屋があります。江の島の洞窟を模して寛政5年(1793)に造られました。関東大震災では被害がありませんでしたが、東京大空襲の火炎で天井の石に亀裂を生じて壊れ落ちたということです。火の勢いがすさまじかったことが分かります。

杉山和一総検校が祀られています。

宇賀神(人頭蛇尾)。

宗像三女神。

住所 東京都墨田区千歳1-8-2
交通 JR総武線・都営地下鉄大江戸線「両国駅」西口・都営地下鉄新宿線「森下駅」より約650m
江島杉山神社MAP