千手観世音のイチョウ
イチョウのそばの拝殿に千手観世音菩薩像(火事で焼失)が祀られていたことから、「千手観世音のイチョウ」と呼ばれています。
多くのひこばえがまっすぐ伸びているのが印象的です。
●茨城県常陸太田市
※環境省 巨樹・巨木林データベース
●周辺巨樹 元金砂郷神社のケヤキ
●撮影年月日 2017年9月5日


ひこばえがまっすぐ伸びています。

元金砂神社
創建は大同元年(806)と伝わります。ご祭神自は大己貴命(おおなむちのみこと)。本国の疾病凶荒のため平城天皇の勅願により、横川の宝珠上人が山王権現日吉山王を遷祀されました。たちまちに流行病が治まったため、金砂神社創始の地となりました。下宮上宮の本宮であるので元金砂神社とも金砂山王宮とも呼び習わされています。
麓の礼拝殿に十一面千手観世音菩薩が祀られていたそうですが、火事で焼失しました。この「千手」から「千寿」の町名になったといわれています。

住 所 茨城県常陸太田市千寿町62 元金砂神社
交 通 JR水郡線「常陸太田駅」よりバス上宮田代線「上宮田代」行き「中利員
精米所」下車約3.1km
常陸太田市金砂郷地区バス情報
元金砂神社MAP
多くのひこばえがまっすぐ伸びているのが印象的です。
●茨城県常陸太田市
※(2010) | |||
樹高 | 25m | ||
幹周 | 6.1m | ||
推定樹齢 |
●周辺巨樹 元金砂郷神社のケヤキ
●撮影年月日 2017年9月5日


ひこばえがまっすぐ伸びています。

元金砂神社
創建は大同元年(806)と伝わります。ご祭神自は大己貴命(おおなむちのみこと)。本国の疾病凶荒のため平城天皇の勅願により、横川の宝珠上人が山王権現日吉山王を遷祀されました。たちまちに流行病が治まったため、金砂神社創始の地となりました。下宮上宮の本宮であるので元金砂神社とも金砂山王宮とも呼び習わされています。
麓の礼拝殿に十一面千手観世音菩薩が祀られていたそうですが、火事で焼失しました。この「千手」から「千寿」の町名になったといわれています。

住 所 茨城県常陸太田市千寿町62 元金砂神社
交 通 JR水郡線「常陸太田駅」よりバス上宮田代線「上宮田代」行き「中利員
精米所」下車約3.1km
常陸太田市金砂郷地区バス情報
元金砂神社MAP
元金砂郷神社のケヤキ
参道のを行くと右斜面に大きなケヤキがあります。町の名をとって「千寿のケヤキ」とも呼ばれています。
このケヤキは露出した根が参道に沿って横に伸びていますが、正面の根は垂直状に参道斜面に合わせるように立っています。
1本の木に見えますが、専門の方のお話によると、2本の合体木ということです。
●茨城県常陸太田市
※環境省 巨樹・巨木林データベース
●周辺巨樹 千手観世音のイチョウ
●撮影年月日 2017年9月5日

よく見ると左右の幹の色、幹肌が違うので2本の木のようです。

元金砂神社
創建は大同元年(806)と伝わります。ご祭神自は大己貴命(おおなむちのみこと)。本国の疾病凶荒のため平城天皇の勅願により、横川の宝珠上人が山王権現日吉山王を遷祀されました。たちまちに流行病が治まったため、金砂神社創始の地となりました。下宮上宮の本宮であるので元金砂神社とも金砂山王宮とも呼び習わされています。
麓の礼拝殿に十一面千手観世音菩薩が祀られていたそうですが、火事で焼失しました。この「千手」から「千寿」の町名になったといわれています。

住 所 茨城県常陸太田市千寿町62 元金砂神社
交 通 JR水郡線「常陸太田駅」よりバス上宮田代線「上宮田代」行き「中利員
精米所」下車約3.1km
常陸太田市金砂郷地区バス情報
元金砂神社MAP
このケヤキは露出した根が参道に沿って横に伸びていますが、正面の根は垂直状に参道斜面に合わせるように立っています。
1本の木に見えますが、専門の方のお話によると、2本の合体木ということです。
●茨城県常陸太田市
※(2010) | |||
樹高 | 30m | ||
幹周 | 3.5m | ||
推定樹齢 |
●周辺巨樹 千手観世音のイチョウ
●撮影年月日 2017年9月5日

よく見ると左右の幹の色、幹肌が違うので2本の木のようです。

元金砂神社
創建は大同元年(806)と伝わります。ご祭神自は大己貴命(おおなむちのみこと)。本国の疾病凶荒のため平城天皇の勅願により、横川の宝珠上人が山王権現日吉山王を遷祀されました。たちまちに流行病が治まったため、金砂神社創始の地となりました。下宮上宮の本宮であるので元金砂神社とも金砂山王宮とも呼び習わされています。
麓の礼拝殿に十一面千手観世音菩薩が祀られていたそうですが、火事で焼失しました。この「千手」から「千寿」の町名になったといわれています。

住 所 茨城県常陸太田市千寿町62 元金砂神社
交 通 JR水郡線「常陸太田駅」よりバス上宮田代線「上宮田代」行き「中利員
精米所」下車約3.1km
常陸太田市金砂郷地区バス情報
元金砂神社MAP
西金砂のイチョウ
道路沿いのサワラの巨木の少し後方、鳥居の近くにこれまた巨木のイチョウです。2本そろって樹勢があり見ごたえがあります。参道の長い階段へといざなってくれているような立ち位置です。
●茨城県常陸太田市
●茨城県指定天然記念物
※環境省 巨樹・巨木林データベース
●周辺巨樹 西金砂のサワラ 万畑の千年カシ(約3.1km)
●撮影年月日 2017年9月5日



西金砂神社
創建は大同元年(806)。御祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)、少彦名命(すくなびこなのみこと)、国常立命(くにとこたちのみこと)です。
二大祭が有名で、72年ごとに行われる大祭礼(大田楽)、丑未年(6年ごと)に行われる小祭礼(小田楽)があり、田楽は県指定無形文化財・国選択芸能無形文化財に指定されています。


住 所 茨城県常陸太田市上宮河内町1915 西金砂神社
交 通 JR水郡線「常陸太田駅」よりバス2番乗場「大藪」(Jコース赤土・棚谷
方面)行き乗車終点下車約3.3km
常陸太田市市民バス情報
西金砂神社MAP
●茨城県常陸太田市
●茨城県指定天然記念物
案内板(2010) | ※(2010) | ||
樹高 | 約30m | 30m | |
幹周 | 10.5m | 8.2m | |
推定樹齢 | 740年 |
●周辺巨樹 西金砂のサワラ 万畑の千年カシ(約3.1km)
●撮影年月日 2017年9月5日



西金砂神社
創建は大同元年(806)。御祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)、少彦名命(すくなびこなのみこと)、国常立命(くにとこたちのみこと)です。
二大祭が有名で、72年ごとに行われる大祭礼(大田楽)、丑未年(6年ごと)に行われる小祭礼(小田楽)があり、田楽は県指定無形文化財・国選択芸能無形文化財に指定されています。


住 所 茨城県常陸太田市上宮河内町1915 西金砂神社
交 通 JR水郡線「常陸太田駅」よりバス2番乗場「大藪」(Jコース赤土・棚谷
方面)行き乗車終点下車約3.3km
常陸太田市市民バス情報
西金砂神社MAP
西金砂のサワラ
西金砂山の頂上にある神社です。現在は閉業された「ふるさと歴史民俗伝承館」「西金砂杜の湯」の道路向かいが西金砂神社で、道路に面して御神木のサワラの巨木が立っています。何故傾いているのかわかりませんが、途中から3幹に分かれて天高く伸びています。サワラの後方には同じく県指定天然記念物のイチョウも控えています。
●茨城県常陸太田市
●茨城県指定天然記念物
※環境省 巨樹・巨木林データベース
●周辺巨樹 西金砂のイチョウ 万畑の千年カシ(約3.1km)
●撮影年月日 2017年9月5日



西金砂神社
創建は大同元年(806)。御祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)、少彦名命(すくなびこなのみこと)、国常立命(くにとこたちのみこと)です。
二大祭が有名で、72年ごとに行われる大祭礼(大田楽)、丑未年(6年ごと)に行われる小祭礼(小田楽)があり、田楽は県指定無形文化財・国選択芸能無形文化財に指定されています。


住 所 茨城県常陸太田市上宮河内町1915 西金砂神社
交 通 JR水郡線「常陸太田駅」よりバス2番乗場「大藪」(Jコース赤土・棚谷
方面)行き乗車終点下車約3.3km
常陸太田市市民バス情報
西金砂神社MAP
●茨城県常陸太田市
●茨城県指定天然記念物
案内板(2010) | ※(2010) | ||
樹高 | 約30m | 30m | |
幹周 | 9.5m | 6.5m | |
推定樹齢 | 740年 |
●周辺巨樹 西金砂のイチョウ 万畑の千年カシ(約3.1km)
●撮影年月日 2017年9月5日



西金砂神社
創建は大同元年(806)。御祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)、少彦名命(すくなびこなのみこと)、国常立命(くにとこたちのみこと)です。
二大祭が有名で、72年ごとに行われる大祭礼(大田楽)、丑未年(6年ごと)に行われる小祭礼(小田楽)があり、田楽は県指定無形文化財・国選択芸能無形文化財に指定されています。


住 所 茨城県常陸太田市上宮河内町1915 西金砂神社
交 通 JR水郡線「常陸太田駅」よりバス2番乗場「大藪」(Jコース赤土・棚谷
方面)行き乗車終点下車約3.3km
常陸太田市市民バス情報
西金砂神社MAP
万畑(まんばた)の千年カシ
西金砂そばの郷そば工房から西金砂神社に向かう途中の三叉路の近くです。三叉路に「どこんじょう巨木 関家のカシ」の案内板が立っています。細い道を行くと山林に関家の大切な木「万畑の千年カシ」や「関家のヤマザクラ」が立っています。古老の千年カシはウラジロガシで、他にもカシの巨木が数本あります。
案内板によると「万畑」は地名です。源頼朝が金砂城攻めの時、一万本の旗(萬旗)を立てて陣を張ったことから「万畑」と呼ばれるようになったそうです。
●茨城県常陸太田市
●常陸太田市みどりの文化財
※環境省 巨樹・巨木林データベース
●周辺巨樹 西金砂のイチョウ 西金砂のサワラ(各約3.1km)
●撮影年月日 2017年9月5日
カシの情報を探していたら、カシを「即身仏」と形容されている記事がありましたが、まさしくそのようでした。
死を受け入れながら最後まで木の姿を失わず全うする意志を持っているかのよう。




近くには古老を見守るかのような別のカシ。幹周約4.5m、樹高約20m。

ヤマザクラの巨木も見事です。主幹の幹周は約2.5m、樹高約25m。

住 所 茨城県常陸太田市赤土町
交 通 JR水郡線「常陸太田駅」よりバス2番乗場「大藪」(Jコース赤土・棚谷
方面)行き乗車終点下車
常陸太田市市民バス情報
万畑の千年カシ周辺MAP
案内板によると「万畑」は地名です。源頼朝が金砂城攻めの時、一万本の旗(萬旗)を立てて陣を張ったことから「万畑」と呼ばれるようになったそうです。
●茨城県常陸太田市
●常陸太田市みどりの文化財
案内板 | ※(2010) | ||
樹高 | |||
幹周 | 7.5m | ||
推定樹齢 | 800年 |
●周辺巨樹 西金砂のイチョウ 西金砂のサワラ(各約3.1km)
●撮影年月日 2017年9月5日
カシの情報を探していたら、カシを「即身仏」と形容されている記事がありましたが、まさしくそのようでした。
死を受け入れながら最後まで木の姿を失わず全うする意志を持っているかのよう。




近くには古老を見守るかのような別のカシ。幹周約4.5m、樹高約20m。

ヤマザクラの巨木も見事です。主幹の幹周は約2.5m、樹高約25m。

住 所 茨城県常陸太田市赤土町
交 通 JR水郡線「常陸太田駅」よりバス2番乗場「大藪」(Jコース赤土・棚谷
方面)行き乗車終点下車
常陸太田市市民バス情報
万畑の千年カシ周辺MAP
Posted on 2017/10/03 Tue. 04:56 [edit]
若宮八幡宮のケヤキ
若宮八幡宮は見晴らしの良い高台にあります。階段を上がって鳥居をくぐると、すぐ右手に幹周約11mの大ケヤキが鎮座しています。境内には大ケヤキが6本もありますが、一番大きい木がこのケヤキで御神木として大事にされています。他のケヤキも幹周5~6m台の巨木です。
八幡宮のケヤキは地名から別名「鯨ヶ岡のケヤキ」とも呼ばれています。海はないのに何故「鯨」の地名が?・・・
町中にある案内板によると、日本武尊が東夷征伐でこの地を訪れた際、丘陵の起伏が洋上に浮かんでいる鯨の姿に似ているので「久自」と名付け、その後「久慈」から「鯨ヶ岡」になったということです。
●茨城県常陸太田市
●茨城県指定天然記念物
※環境省 巨樹・巨木林データベース
●撮影年月日 2017年9月5日
一番大きいケヤキです。見る者を圧倒。


鳥居の右に写るケヤキは、ひたち巨樹の会の菊谷様の資料によると幹周5.47m。
幹の空洞化が大きいですが、中に株立ちをした幹が成長していました。

参道を進むと幹周6.42mのケヤキ。

門をくぐると両側にも大きなケヤキ。写真左は幹周6.45m、右は4.91m。

拝殿側のケヤキは幹周は不明ですが、迫力あるごつい根張り


若宮八幡宮
佐竹氏舞鶴城跡地に位置しています。応永年間(1394~1427)武家の佐竹氏十三代義仁が、鎌倉の鶴岡八幡宮の分霊を居城舞鶴城(青龍城)に奉るようになったのが始まりといわれています。元禄5年(1692)水戸光圀公の命により太田一郷の鎮守となり、明治14年(1881)郷社となりました。

住 所 茨城県常陸太田市宮本町2344 若宮八幡宮
交 通 JR水郡線「常陸太田駅」より約1.5km
若宮八幡宮MAP
八幡宮のケヤキは地名から別名「鯨ヶ岡のケヤキ」とも呼ばれています。海はないのに何故「鯨」の地名が?・・・
町中にある案内板によると、日本武尊が東夷征伐でこの地を訪れた際、丘陵の起伏が洋上に浮かんでいる鯨の姿に似ているので「久自」と名付け、その後「久慈」から「鯨ヶ岡」になったということです。
●茨城県常陸太田市
●茨城県指定天然記念物
案内板(2008) | ※(2009) | ||
樹高 | 約30m | 25m | |
幹周 | 11.4m | 10.4m | |
推定樹齢 | 640年 |
●撮影年月日 2017年9月5日
一番大きいケヤキです。見る者を圧倒。


鳥居の右に写るケヤキは、ひたち巨樹の会の菊谷様の資料によると幹周5.47m。
幹の空洞化が大きいですが、中に株立ちをした幹が成長していました。

参道を進むと幹周6.42mのケヤキ。

門をくぐると両側にも大きなケヤキ。写真左は幹周6.45m、右は4.91m。

拝殿側のケヤキは幹周は不明ですが、迫力あるごつい根張り


若宮八幡宮
佐竹氏舞鶴城跡地に位置しています。応永年間(1394~1427)武家の佐竹氏十三代義仁が、鎌倉の鶴岡八幡宮の分霊を居城舞鶴城(青龍城)に奉るようになったのが始まりといわれています。元禄5年(1692)水戸光圀公の命により太田一郷の鎮守となり、明治14年(1881)郷社となりました。

住 所 茨城県常陸太田市宮本町2344 若宮八幡宮
交 通 JR水郡線「常陸太田駅」より約1.5km
若宮八幡宮MAP
椎尾山薬王院のスダジイ
薬王院は標高200mの椎王山中にあり、境内と裏山斜面一帯約2.6ヘクタールはスダジイ、クスノキ、ケヤキを中心とした樹叢です。特にスダジイが多く、胸高直径30cm以上の高木が100本を超えています。見どころも多い由緒ある古いお寺なのですが、境内にもスダジイの巨木が何本もあり、木に向き合うだけで時間切れとなりました。
●茨城県桜川市
●茨城県指定天然記念物(スダジイ社叢)
※『椎尾山薬王院のスダジイ樹叢に関する調査報告書』
(真壁町教育委員会 1989)
●撮影年月日 2017年3月3日
三重塔のそばにある御神木のスダジイが一番直径があります。


隣の三重塔は高さ25m。ケヤキの一枚板が多く使われています。

仁王門⇔本殿の階段の途中に幹直径1.6m(幹周約5m)のスダジイ

仁王門そばの入口そばに立つスダジイは幹直径1.56m(幹周約4.9m)


仁王門⇔母屋の参道も巨木が並びます。

母屋そばのスダジイ。

そのそばにも注連縄に巻かれて御神木が鎮座。

空洞化した幹はお堂のように、可愛いお地蔵様や花が飾られていました。

薬王院は「真壁のひなまつり」に参加していて、池にお雛様が乗った小舟が浮かんでいて風情がありました。
母屋には古いお雛様も飾られていました。

椎尾山薬王院
延暦元年(782)、最仙上人の開基。古くからの檀林寺院でした。天文19年(1550)の大火で残ったご本尊の薬師如来は、三重塔、スダジイ樹叢と共に県指定文化財になっています。
数度の大火に見舞われ、現在の本堂は延宝8年(1680)建立されました。市指定文化財です。

延宝16年(1688)建立の仁王門も市指定文化財。

仁王門に立つ雷神・風神

住 所 茨城県桜川市真壁町椎尾3178
交 通 関東鉄道常総線「黒子駅」より約10.7km
椎尾山薬王院MAP
●茨城県桜川市
●茨城県指定天然記念物(スダジイ社叢)
境内で一番大きい | ※ | ||
樹高 | 11m | ||
幹周 | 直径1.8m(幹周約5.7m) | ||
推定樹齢 | 485年 |
(真壁町教育委員会 1989)
●撮影年月日 2017年3月3日
三重塔のそばにある御神木のスダジイが一番直径があります。


隣の三重塔は高さ25m。ケヤキの一枚板が多く使われています。

仁王門⇔本殿の階段の途中に幹直径1.6m(幹周約5m)のスダジイ

仁王門そばの入口そばに立つスダジイは幹直径1.56m(幹周約4.9m)


仁王門⇔母屋の参道も巨木が並びます。

母屋そばのスダジイ。

そのそばにも注連縄に巻かれて御神木が鎮座。

空洞化した幹はお堂のように、可愛いお地蔵様や花が飾られていました。

薬王院は「真壁のひなまつり」に参加していて、池にお雛様が乗った小舟が浮かんでいて風情がありました。
母屋には古いお雛様も飾られていました。

椎尾山薬王院
延暦元年(782)、最仙上人の開基。古くからの檀林寺院でした。天文19年(1550)の大火で残ったご本尊の薬師如来は、三重塔、スダジイ樹叢と共に県指定文化財になっています。
数度の大火に見舞われ、現在の本堂は延宝8年(1680)建立されました。市指定文化財です。

延宝16年(1688)建立の仁王門も市指定文化財。

仁王門に立つ雷神・風神


住 所 茨城県桜川市真壁町椎尾3178
交 通 関東鉄道常総線「黒子駅」より約10.7km
椎尾山薬王院MAP
密弘寺のケヤキ
町内で3番目に幹が太い木です。衰えが目立ちますが、どっしりとした存在感ある姿です。
真壁町は「真壁のひなまつり」が有名で、3月3日までの1か月、歴史の残る町がたくさんのお雛様に飾られます。密光院は開催地の中にあります。出向いた日は最終日の3月3日。お寺は静かでしたが、通りはにぎわっていました。
●茨城県桜川市
●真壁町指定天然記念物
※『真壁町史料 植物編1』(真壁町史編さん委員会 1995)
●周辺巨樹 田村神社のムクノキ(約890m)
●撮影年月日 2017年3月3日




真壁のひなまつり
巨樹の命とお雛様の文化。どちらも時代を超えて生き続けてきました。
2階にもお雛様が飾られ、花咲爺さんが手を振っていました。

風情のある江戸時代のお雛様

江戸・明治・大正・昭和のお雛様が勢ぞろい

狐の嫁入りとお雛様

ものすごく上手だったひょっとこ踊り。踊っていたのは小学校低学年くらいの男の子でした。

密弘寺
宝治元年(1247)に恵寿僧都が開山したと伝えられています。国の登録有形文化財の不動堂は天保11年(1840)再建されたものです。

住 所 茨城県桜川市真壁町真壁183 密弘寺
交 通 JR水戸線「新治駅」より約8.8km
(ひなまつり開催期間は、つくば方面から臨時バス有り)
密弘寺MAP
真壁町は「真壁のひなまつり」が有名で、3月3日までの1か月、歴史の残る町がたくさんのお雛様に飾られます。密光院は開催地の中にあります。出向いた日は最終日の3月3日。お寺は静かでしたが、通りはにぎわっていました。
●茨城県桜川市
●真壁町指定天然記念物
※ | |||
樹高 | 21m | ||
幹周 | 4.9m | ||
推定樹齢 | 250年 |
●周辺巨樹 田村神社のムクノキ(約890m)
●撮影年月日 2017年3月3日




真壁のひなまつり
巨樹の命とお雛様の文化。どちらも時代を超えて生き続けてきました。
2階にもお雛様が飾られ、花咲爺さんが手を振っていました。

風情のある江戸時代のお雛様

江戸・明治・大正・昭和のお雛様が勢ぞろい

狐の嫁入りとお雛様

ものすごく上手だったひょっとこ踊り。踊っていたのは小学校低学年くらいの男の子でした。

密弘寺
宝治元年(1247)に恵寿僧都が開山したと伝えられています。国の登録有形文化財の不動堂は天保11年(1840)再建されたものです。

住 所 茨城県桜川市真壁町真壁183 密弘寺
交 通 JR水戸線「新治駅」より約8.8km
(ひなまつり開催期間は、つくば方面から臨時バス有り)
密弘寺MAP
田村神社のムクノキ
ムクノキは、小さい社殿の真後ろに立っています。上部は失われていますが、どっしりした幹に長い歴史を生き抜いてきた感が伝わりました。
大きなケヤキがあるとの情報で出向いたのですが、神社の裏から入ってすぐにムクノキに遭遇。喜んでムクノキだけ撮って満足して帰ってきてしまいました・・・幹周7.7mの大ケヤキは、鳥居の近くにあったそうで・・・小学校寄りの入口から入ったので全く姿を見ることなくでした。
●茨城県桜川市
※『真壁町史料 植物編1』(真壁町史編さん委員会 1995)
●周辺巨樹 密弘寺のケヤキ(約890m)
●撮影年月日 2017年3月3日




田村神社
創建は不明です。御祭神は、素盞嗚命(すさのおのみこと)、木花咲耶姫(このはなさくやひめ)、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)、軻遇突智命(かぐつちのみこと)、倉稲魂命(うかのみたまのみこと)です。

住 所 茨城県桜川市真壁町田21 田村神社
交 通 JR水戸線「新治駅」より約9km
(ひなまつり開催期間は、つくば方面から臨時バス有り)
田村神社MAP
大きなケヤキがあるとの情報で出向いたのですが、神社の裏から入ってすぐにムクノキに遭遇。喜んでムクノキだけ撮って満足して帰ってきてしまいました・・・幹周7.7mの大ケヤキは、鳥居の近くにあったそうで・・・小学校寄りの入口から入ったので全く姿を見ることなくでした。
●茨城県桜川市
※ | |||
樹高 | 21m | ||
幹周 | 4.9m | ||
推定樹齢 | 250年 |
●周辺巨樹 密弘寺のケヤキ(約890m)
●撮影年月日 2017年3月3日




田村神社
創建は不明です。御祭神は、素盞嗚命(すさのおのみこと)、木花咲耶姫(このはなさくやひめ)、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)、軻遇突智命(かぐつちのみこと)、倉稲魂命(うかのみたまのみこと)です。

住 所 茨城県桜川市真壁町田21 田村神社
交 通 JR水戸線「新治駅」より約9km
(ひなまつり開催期間は、つくば方面から臨時バス有り)
田村神社MAP
小見川沿いの大クスノキ
小見川の土手上に遠くからでも分かるひと際大きい緑の塊が見えました。土手の上から生えているように見えますが、実際は堤防の下から生えています。個人の敷地に生えているので、下に降りてそばには行けませんが、のびのびと生きている巨木の姿は土手の上からでも十分楽しめました。
●茨城県龍ヶ崎市
※『龍ヶ崎のお宝の木 巨樹・古木』(龍ヶ崎市 2013)
●周辺巨樹 鹿嶋神社のアカガシ(約1.6km)
●撮影年月日 2016年11月26日
道路上に立っているように見えますが、道路は土手です。土手の下から生えています。


土手が小さく見えます。


太陽が反射した小見川の景色もきれいでした。

住 所 茨城県龍ヶ崎市川原代町
交 通 常磐線「佐貫駅」より約970m
小見川沿いの大クスノキMAP
●茨城県龍ヶ崎市
※ | |||
樹高 | 30m | ||
幹周 | 5.4m | ||
推定樹齢 | 350年 |
●周辺巨樹 鹿嶋神社のアカガシ(約1.6km)
●撮影年月日 2016年11月26日
道路上に立っているように見えますが、道路は土手です。土手の下から生えています。


土手が小さく見えます。


太陽が反射した小見川の景色もきれいでした。

住 所 茨城県龍ヶ崎市川原代町
交 通 常磐線「佐貫駅」より約970m
小見川沿いの大クスノキMAP
鹿嶋神社のアカガシ
境内に並ぶ大きなケヤキを見ながら社殿左奥に入って行くと、背後を竹に囲まれるようにアカガシが立っていました。正面から見ると分かりませんが、裏に回ると1本の竹がアカガシを貫いています。貫かれたアカガシの姿も印象的ですが、貫いて伸び続けた竹の姿にも生きようとするたくましさを感じて印象的でした。
●茨城県龍ヶ崎市
※『龍ヶ崎のお宝の木 巨樹・古木』(龍ヶ崎市 2013)
●周辺巨樹 小見川沿いの大クスノキ(約1.6km)
鬮神社のケヤキ・スダジイ(約2km)
●撮影年月日 2016年11月26日




鹿嶋神社
創建は天正3年(1575)、 御祭神は武甕槌命(タケミカヅチノミコト)、別称鹿島神です。
明治2年(1869)に再建され、壁画は江戸の彫刻師後藤家一派の作といわれる見事な彫刻が施されています。

住 所 茨城県龍ケ崎市南中島町35
交 通 関東鉄道竜ヶ崎線「入地駅」より約1.4km
JR常磐線「佐貫駅」より約1.7km
鹿嶋神社MAP
●茨城県龍ヶ崎市
※ | |||
樹高 | 15m | ||
幹周 | 3.5m | ||
推定樹齢 | 300年 |
●周辺巨樹 小見川沿いの大クスノキ(約1.6km)
鬮神社のケヤキ・スダジイ(約2km)
●撮影年月日 2016年11月26日




鹿嶋神社
創建は天正3年(1575)、 御祭神は武甕槌命(タケミカヅチノミコト)、別称鹿島神です。
明治2年(1869)に再建され、壁画は江戸の彫刻師後藤家一派の作といわれる見事な彫刻が施されています。

住 所 茨城県龍ケ崎市南中島町35
交 通 関東鉄道竜ヶ崎線「入地駅」より約1.4km
JR常磐線「佐貫駅」より約1.7km
鹿嶋神社MAP
鬮(くじ)神社のケヤキ・スダジイ
金龍寺のムクノキからさほど遠くないのですが、木漏れ日の差すスギ林の細い道を行くのは別世界の感がありました。まもなく左にケヤキ、右にスダジイが鳥居のように立っている鬮(くじ)神社に着きました。神社自体は小さい祠があるだけなので巨木が無ければ見落としてしまうでしょう。小さい祠と木種の違う巨木の組み合わせが絵になる印象深い場所でした。
●茨城県龍ヶ崎市
※『龍ヶ崎のお宝の木 巨樹・古木』(龍ヶ崎市 2013)
●周辺巨樹 金龍寺のムクノキ (約600m) 鹿嶋神社のアカガシ(約2km)
●撮影年月日 2016年11月26日



スダジイは大枝の損傷が惜しいです。

どっしり構えている感のケヤキ。


木漏れ日が差す道も気持ち良かったです。

鬮(くじ)神社
この地域は、多くの屋敷神が祀られていたそうで、この祠も某家の氏神様で、クジ(運)の神様だったそうです。
伝承によると「昔、徴兵検査などのかけごとの願掛け参りに来た」「昔、佐倉惣五郎が隠れたという。そこには杓文字があって、これを借りてご飯をよそると「メシトル」といって風邪が治る」というような話があったそうです。

千羽鶴や杓文字が奉納されています。

住 所 茨城県龍ケ崎市若柴町
交 通 JR常磐線「佐貫駅」より約1.6km
鬮(くじ)神社MAP
●茨城県龍ヶ崎市
ケヤキ※ | スダジイ※ | ||
樹高 | 30m | 30m | |
幹周 | 4m | 4.6m | |
推定樹齢 | 300年 | 300年 |
●周辺巨樹 金龍寺のムクノキ (約600m) 鹿嶋神社のアカガシ(約2km)
●撮影年月日 2016年11月26日



スダジイは大枝の損傷が惜しいです。

どっしり構えている感のケヤキ。


木漏れ日が差す道も気持ち良かったです。

鬮(くじ)神社
この地域は、多くの屋敷神が祀られていたそうで、この祠も某家の氏神様で、クジ(運)の神様だったそうです。
伝承によると「昔、徴兵検査などのかけごとの願掛け参りに来た」「昔、佐倉惣五郎が隠れたという。そこには杓文字があって、これを借りてご飯をよそると「メシトル」といって風邪が治る」というような話があったそうです。

千羽鶴や杓文字が奉納されています。

住 所 茨城県龍ケ崎市若柴町
交 通 JR常磐線「佐貫駅」より約1.6km
鬮(くじ)神社MAP
金龍寺のムクノキ
参道に通じる小道から入ると消防団の建物があり、真横に立派な根張りのムクノキが立っていました。そばには観音寺跡の立て札、天保10年(1840)建立の弘法大師尊の祠、その後方には不動明王がありました。
すぐ近くには、正式に参道に入るための短い階段があり、枯れ死に近いムクノキがあrります。この木も元気だった頃、2本そびえ立ち大きな傘を広げた景観は見事だったことでしょう。
●茨城県龍ヶ崎市
※『龍ヶ崎のお宝の木 巨樹・古木』(龍ヶ崎市 2013)
●周辺巨樹 鬮(くじ)神社のケヤキ・スダジイ(約600m)
●撮影年月日 2016年11月26日



ムクノキのそばには観音寺跡の立て札があり、天保10年(1840)建立の弘法大師尊の祠とその後方には反対向きに不動明王がありました。

参道近くには、三叉に分かれ真ん中の幹が左右の間から出ているという面白い姿の木。

金龍寺
山号は太田山の曹洞宗の寺です。豪族新田氏の菩提寺です。元享元年(1321)、新田義貞の創建、天真禅師の開基と伝わりますが、孫により応永14年(1407)に上州新田郡(群馬県太田市)に建立されたのが始まりという説もあります。天正18年(1590)、子孫の由良国繁が太田金山城から牛久に国替えになり、寺も一緒に移りました。寛文6年(1666)、現在地に移されましたが、天保年間(1830~1843)に火災に遭い、再建されました。

住 所 茨城県龍ケ崎市若柴町866
交 通 JR常磐線「佐貫駅」より約1.4km
金龍寺MAP
すぐ近くには、正式に参道に入るための短い階段があり、枯れ死に近いムクノキがあrります。この木も元気だった頃、2本そびえ立ち大きな傘を広げた景観は見事だったことでしょう。
●茨城県龍ヶ崎市
※ | |||
樹高 | 20m | ||
幹周 | 5.2m | ||
推定樹齢 | 300年 |
●周辺巨樹 鬮(くじ)神社のケヤキ・スダジイ(約600m)
●撮影年月日 2016年11月26日



ムクノキのそばには観音寺跡の立て札があり、天保10年(1840)建立の弘法大師尊の祠とその後方には反対向きに不動明王がありました。

参道近くには、三叉に分かれ真ん中の幹が左右の間から出ているという面白い姿の木。

金龍寺
山号は太田山の曹洞宗の寺です。豪族新田氏の菩提寺です。元享元年(1321)、新田義貞の創建、天真禅師の開基と伝わりますが、孫により応永14年(1407)に上州新田郡(群馬県太田市)に建立されたのが始まりという説もあります。天正18年(1590)、子孫の由良国繁が太田金山城から牛久に国替えになり、寺も一緒に移りました。寛文6年(1666)、現在地に移されましたが、天保年間(1830~1843)に火災に遭い、再建されました。

住 所 茨城県龍ケ崎市若柴町866
交 通 JR常磐線「佐貫駅」より約1.4km
金龍寺MAP
真福寺の大銀杏
境内の左手にあたる駐車場側から境内に入ったのですが、入るとすぐにド~ンと大きいイチョウでした。枝葉は大きく広がり上部も高く伸びて想像以上に大きくて良い木でした。
紅葉が始まりだした頃で、境内が広く黄金色になりつつありました。もう少し後に行ったら黄金色の絨毯だったことでしょう。
●茨城県龍ヶ崎市
※『龍ヶ崎のお宝の木 巨樹・古木』(龍ヶ崎市 2013)
●撮影年月日 2016年11月12日



真福寺
通称「大塚の愛宕様」と呼ばれる火伏地蔵尊が祀られています。祭りの日に酒盛りをしていた家は火事になり、飲まなかった家は助かったという伝承があり、毎月24日は禁酒なのだそうです。

住 所 茨城県龍ヶ崎市大塚町2236
交 通 関東鉄道「竜ヶ崎駅」より龍ヶ崎市コミュニティバスBルート乗車「大塚」
下車
龍ヶ崎市コミュニティバス情報
真福寺MAP
紅葉が始まりだした頃で、境内が広く黄金色になりつつありました。もう少し後に行ったら黄金色の絨毯だったことでしょう。
●茨城県龍ヶ崎市
案内板 | ※ | 実測 | |
樹高 | 35m | ||
幹周 | 5.1m | ||
推定樹齢 | 300年 |
●撮影年月日 2016年11月12日



真福寺
通称「大塚の愛宕様」と呼ばれる火伏地蔵尊が祀られています。祭りの日に酒盛りをしていた家は火事になり、飲まなかった家は助かったという伝承があり、毎月24日は禁酒なのだそうです。

住 所 茨城県龍ヶ崎市大塚町2236
交 通 関東鉄道「竜ヶ崎駅」より龍ヶ崎市コミュニティバスBルート乗車「大塚」
下車
龍ヶ崎市コミュニティバス情報
真福寺MAP
佐沼の大クスノキ
民家の敷地内の奥に立っているので、事前に龍ヶ崎に住む友人を介して立入の許可をお願いしました。
幹周が約6mもあるクスノキは、大谷石の蔵の横、作業場の屋根の間を突き抜けるように立っていました。家の主のような存在感でした。
隣の敷地は不動尊があり広々としていて、そこからも写真を撮ることができました。
●茨城県龍ヶ崎市
※『龍ヶ崎のお宝の木 巨樹・古木』(龍ヶ崎市 2013)
●周辺巨樹 八坂神社のケヤキ(約2.8km)
●撮影年月日 2016年11月12日


不動尊側からよく見ることができます。


不動尊の敷地は広いですが、不動尊は小さく立っています。「第十五番」の札が掛けられていました。

住 所 茨城県龍ヶ崎市大徳町6045付近 不動尊
交 通 関東鉄道竜ヶ崎線「竜ヶ崎駅」より約3.4km
(竜ヶ崎駅に無料レンタサイクルあり)
不動尊MAP
幹周が約6mもあるクスノキは、大谷石の蔵の横、作業場の屋根の間を突き抜けるように立っていました。家の主のような存在感でした。
隣の敷地は不動尊があり広々としていて、そこからも写真を撮ることができました。
●茨城県龍ヶ崎市
※ | |||
樹高 | 30m | ||
幹周 | 6m | ||
推定樹齢 | 300年 |
●周辺巨樹 八坂神社のケヤキ(約2.8km)
●撮影年月日 2016年11月12日


不動尊側からよく見ることができます。


不動尊の敷地は広いですが、不動尊は小さく立っています。「第十五番」の札が掛けられていました。

住 所 茨城県龍ヶ崎市大徳町6045付近 不動尊
交 通 関東鉄道竜ヶ崎線「竜ヶ崎駅」より約3.4km
(竜ヶ崎駅に無料レンタサイクルあり)
不動尊MAP
八坂神社のケヤキ
ケヤキは社殿向かって右奥の裏手に鎮座していました。天正5年(1577)、八坂神社が根町から上町に遷宮した際に植えられたと伝えられています。まっすぐ素直に立っている姿は、400年以上を生きてきた古木に思えませんでした。
11月中旬だったので、七五三参りで正装をしたご家族が何組かいました。境内はそれほど広くなかったので、そこにアウトドア~な私が子どもならぬ木に向き合ってバシャバシャ写真撮ってるのが、場違いというか何気に肩身狭いというかでした。
●茨城県龍ヶ崎市
●龍ヶ崎市指定天然記念物
※『龍ヶ崎のお宝の木 巨樹・古木』(龍ヶ崎市 2013)
●周辺巨樹 愛宕神社のスダジイ(約1.3km)
佐沼の大クスノキ(約2.8km)
●撮影年月日 2016年11月19日


鳥居のそばには2本の合体木のイチョウ

隅で頑張ってるクスノキ

八坂神社
文治2年(1186)、源頼朝の家臣下河辺政義公が、領地の竜ヶ崎市貝原塚の農民達を引き連れて、沼地だった根町を開拓して貝原塚八坂大神の分御霊を祀ったのが始まりとされています。天正5年(1577)、龍ヶ崎城主の土岐胤倫(たねとも)公は、さらに開拓を行い、八坂神社を根町から現在の上町に遷宮しました。

住 所 茨城県龍ケ崎市4279 八坂神社
交 通 関東鉄道「竜ヶ崎駅」より約650m
八坂神社MAP
11月中旬だったので、七五三参りで正装をしたご家族が何組かいました。境内はそれほど広くなかったので、そこにアウトドア~な私が子どもならぬ木に向き合ってバシャバシャ写真撮ってるのが、場違いというか何気に肩身狭いというかでした。
●茨城県龍ヶ崎市
●龍ヶ崎市指定天然記念物
案内板 | ※ | 実測 | |
樹高 | 30m | ||
幹周 | 4.5m | ||
推定樹齢 | 400年 |
●周辺巨樹 愛宕神社のスダジイ(約1.3km)
佐沼の大クスノキ(約2.8km)
●撮影年月日 2016年11月19日


鳥居のそばには2本の合体木のイチョウ

隅で頑張ってるクスノキ

八坂神社
文治2年(1186)、源頼朝の家臣下河辺政義公が、領地の竜ヶ崎市貝原塚の農民達を引き連れて、沼地だった根町を開拓して貝原塚八坂大神の分御霊を祀ったのが始まりとされています。天正5年(1577)、龍ヶ崎城主の土岐胤倫(たねとも)公は、さらに開拓を行い、八坂神社を根町から現在の上町に遷宮しました。

住 所 茨城県龍ケ崎市4279 八坂神社
交 通 関東鉄道「竜ヶ崎駅」より約650m
八坂神社MAP
愛宕神社のスダジイ
愛宕神社は、小高い丘陵地にあり中学校に隣接しています。石段を上がると社殿向かって左手に、こんもりした形の良いスダジイが立っていました。土曜日だったので中学校は休みで静かでしたが、平日は、生徒たちの活力を命の糧にして元気でいるのではと思いました。
●茨城県龍ヶ崎市
※『龍ヶ崎のお宝の木 巨樹・古木』(龍ヶ崎市 2013)
●周辺巨樹 八坂神社のケヤキ(約1.3km)
●撮影年月日 2016年11月19日



別のスダジイも立派で、こちらは注連縄がかけられています。

愛宕神社
御祭神は迦具土命です。寛永18年(1641)、伊達政宗の嫡子陸奥守忠宗によって創建されました。伊達家の領地だった竜ヶ崎を一望できる小山に愛宕神社を祀って、領民の安泰と火災、災難よけを祈願しました。
現在の社殿は、宝永5年(1708)に再建されました。総欅作りですぐれた彫刻が施されています。
また神社と隣の中学校を含んだ丘陵地は、前方後円墳を含んだ複数の古墳があったそうで、「愛宕山古墳」といわれています。

住 所 茨城県龍ヶ崎市3776 愛宕神社
交 通 関東鉄道竜ヶ崎線「竜ヶ崎駅」より約800m
竜ヶ崎線のコロッケトレインは、つり革にコロッケ、ポスターもステッカーもコロッケ♪

愛宕神社MAP
●茨城県龍ヶ崎市
案内板 | ※ | 実測 | |
樹高 | 15m | ||
幹周 | 4.2m | ||
推定樹齢 | 400年 |
●周辺巨樹 八坂神社のケヤキ(約1.3km)
●撮影年月日 2016年11月19日



別のスダジイも立派で、こちらは注連縄がかけられています。

愛宕神社
御祭神は迦具土命です。寛永18年(1641)、伊達政宗の嫡子陸奥守忠宗によって創建されました。伊達家の領地だった竜ヶ崎を一望できる小山に愛宕神社を祀って、領民の安泰と火災、災難よけを祈願しました。
現在の社殿は、宝永5年(1708)に再建されました。総欅作りですぐれた彫刻が施されています。
また神社と隣の中学校を含んだ丘陵地は、前方後円墳を含んだ複数の古墳があったそうで、「愛宕山古墳」といわれています。

住 所 茨城県龍ヶ崎市3776 愛宕神社
交 通 関東鉄道竜ヶ崎線「竜ヶ崎駅」より約800m
竜ヶ崎線のコロッケトレインは、つり革にコロッケ、ポスターもステッカーもコロッケ♪

愛宕神社MAP
無量院のケヤキ
無量院は鬼怒川の堤防横にあり、南側の参道坂下にケヤキの巨樹が道標のように立っていました。案内板によると、奈良平安時代は舟の渡し場があり、旅人の安全を願って神社や寺ががまつられ樹木が植えられたそうです。対岸には鹿島神社があります。昭和の初めごろまでは渡し場としての往来があったということで、ケヤキは渡し場の目印になっていたそうです。
●茨城県下妻市
●下妻市指定天然記念物
※環境省 巨樹・巨木林データベース
●撮影年月日 2016年6月12日




根元には、6体のお地蔵さんが並べられています。

無量院
白鳳14年(685)、行基が開山したとされる古刹です。昔、ここは入江で、南側には日神社がありましたが、明治42年(1909)に香取神社に合祀され、寛永年間に建立された大日如来尊碑は、大正2年(1913)に無量院の境内に移されました。

住 所 下妻市皆葉981 無量院
交 通 関東鉄道常総線「宗道駅」から約3.8km
無量院MAP
●茨城県下妻市
●下妻市指定天然記念物
案内板 | ※(2007) | ||
樹高 | 23.6m | 24m | |
幹周 | 6.4m | 6.1m | |
推定樹齢 | 500年以上 |
●撮影年月日 2016年6月12日




根元には、6体のお地蔵さんが並べられています。

無量院
白鳳14年(685)、行基が開山したとされる古刹です。昔、ここは入江で、南側には日神社がありましたが、明治42年(1909)に香取神社に合祀され、寛永年間に建立された大日如来尊碑は、大正2年(1913)に無量院の境内に移されました。

住 所 下妻市皆葉981 無量院
交 通 関東鉄道常総線「宗道駅」から約3.8km
無量院MAP
稲田恋しの大銀杏
田畑の中に市指定史跡となっている親鸞ゆかりの小島草庵跡と「稲田恋しの銀杏」があります。銀杏の名前は、親鸞がこの地に3年間住んだ後に移った稲田の方角に枝を伸ばしているので「稲田恋しの銀杏」と呼ばれているそうです。
●茨城県下妻市
●下妻の木々 巨木・名木
※環境省 巨樹・巨木林データベース
●周辺巨樹 下妻神社の大欅(約2.4km)
光明寺のイチョウ 光明寺のケヤキ 明空御手植の柊(各約1.5km)
●撮影年月日 2016年6月12日


銀杏のそばには「親鸞聖人御旧跡」「三歳御住居」などの碑。


銀杏の背後には、欽明天皇、用明天皇、聖徳太子、親鸞の「四体仏」の五輪塔。

小島草庵跡
親鸞は越後流罪と滞留7年の後、妻子を伴って常陸国に入りました。健保2年(1214)この地に草庵を設けられて3年間居住して布教を行いました。その後草庵を門弟の蓮位房に譲って稲田(笠間市)に移りました。
住 所 茨城県下妻市大字小島498
交 通 関東鉄道常総線「下妻駅」から約1.5km
小島草庵跡MAP
●茨城県下妻市
●下妻の木々 巨木・名木
※(2007) | |||
樹高 | 15m | ||
幹周 | 4.7m | ||
推定樹齢 |
●周辺巨樹 下妻神社の大欅(約2.4km)
光明寺のイチョウ 光明寺のケヤキ 明空御手植の柊(各約1.5km)
●撮影年月日 2016年6月12日


銀杏のそばには「親鸞聖人御旧跡」「三歳御住居」などの碑。


銀杏の背後には、欽明天皇、用明天皇、聖徳太子、親鸞の「四体仏」の五輪塔。

小島草庵跡
親鸞は越後流罪と滞留7年の後、妻子を伴って常陸国に入りました。健保2年(1214)この地に草庵を設けられて3年間居住して布教を行いました。その後草庵を門弟の蓮位房に譲って稲田(笠間市)に移りました。
住 所 茨城県下妻市大字小島498
交 通 関東鉄道常総線「下妻駅」から約1.5km
小島草庵跡MAP
下妻神社の大欅
大欅のそばに建つ社殿は新しいですが、歴史の古い神社です。社殿は小さいですが、敷地内には公民館・消防団倉庫・ブランコや滑り台の遊具などがあり、地域の拠点として大事な場となっているようです。町の人々の地域活動を見守り続けている大樹です。
●茨城県下妻市
●下妻市指定天然記念物
※環境省 巨樹・巨木林データベース
※※『巨木学』(宮誠而 2015)
●周辺巨樹
光明寺のイチョウ 光明寺のケヤキ 明空御手植の柊(各約1.2km)
稲田恋しの大銀杏(約2.4km)
●撮影年月日 2016年6月12日





大欅のそばのケヤキも大きいのですが、大欅の前では細く見えました。

「下妻の木々 巨木・名木」の案内板の立てられたムクロジ。
樹高約7.5m 幹周約2.5mです。

下妻神社
文明年間(15世紀後半)に下妻城主多賀谷家植が「牛頭天皇」を勧請して建立したと伝えられています。正徳年間(1711~1715)、下妻藩初代領主の井上正長が社殿を再建し、城廻村(現在の大字下妻乙地番)の守護神として崇敬されました。明治時代になると近隣の複数の神社が合祀されて下妻神社となりました。

住 所 茨城県下妻市下妻乙81-1 下妻神社
交 通 関東鉄道常総線「下妻駅」から約1.1km
下妻神社MAP
●茨城県下妻市
●下妻市指定天然記念物
案内板(1981) | ※(2007) | ※※ | |
樹高 | 20m | 15m | 30m |
幹周 | 7m | 7.9m | 8.4m |
推定樹齢 | 500年 |
※※『巨木学』(宮誠而 2015)
●周辺巨樹
光明寺のイチョウ 光明寺のケヤキ 明空御手植の柊(各約1.2km)
稲田恋しの大銀杏(約2.4km)
●撮影年月日 2016年6月12日





大欅のそばのケヤキも大きいのですが、大欅の前では細く見えました。

「下妻の木々 巨木・名木」の案内板の立てられたムクロジ。
樹高約7.5m 幹周約2.5mです。

下妻神社
文明年間(15世紀後半)に下妻城主多賀谷家植が「牛頭天皇」を勧請して建立したと伝えられています。正徳年間(1711~1715)、下妻藩初代領主の井上正長が社殿を再建し、城廻村(現在の大字下妻乙地番)の守護神として崇敬されました。明治時代になると近隣の複数の神社が合祀されて下妻神社となりました。

住 所 茨城県下妻市下妻乙81-1 下妻神社
交 通 関東鉄道常総線「下妻駅」から約1.1km
下妻神社MAP
光明寺のイチョウ
光明寺は、古木の菩提樹と柊、ケヤキの巨木と見所のある木が多いのですが、境内のイチョウも巨木です。災害によるものか、上部は失われていますが、幹はどっしりとして元気でしっかり感のあるイチョウです。
●茨城県下妻市
※環境省 巨樹・巨木林データベース
●周辺巨樹 光明寺のケヤキ 明空御手植の柊
下妻神社の大欅(約1.2km) 稲田恋しの大銀杏(約1.5km)
●撮影年月日 2016年7月12日



光明寺
親鸞の弟子明空創設の寺です。常陸国で親鸞が初めて布教した寺として信仰を集め、親鸞所縁の品々が残っています。

住 所 茨城県下妻市下妻乙350
交 通 関東鉄道常総線「下妻駅」より約390m
光明寺MAP
●茨城県下妻市
※(1988) | |||
樹高 | 18m | ||
幹周 | 6m | ||
推定樹齢 | 300年 |
●周辺巨樹 光明寺のケヤキ 明空御手植の柊
下妻神社の大欅(約1.2km) 稲田恋しの大銀杏(約1.5km)
●撮影年月日 2016年7月12日



光明寺
親鸞の弟子明空創設の寺です。常陸国で親鸞が初めて布教した寺として信仰を集め、親鸞所縁の品々が残っています。

住 所 茨城県下妻市下妻乙350
交 通 関東鉄道常総線「下妻駅」より約390m
光明寺MAP
光明寺のケヤキ
光明寺は市指定天然記念物の柊や菩提樹がありますが、指定になっていないケヤキやイチョウも立派です。門外に立つケヤキは趣のある塀とよく合っていました。
●茨城県下妻市
※環境省 巨樹・巨木林データベース
●周辺巨樹 明空御手植の柊 光明寺のイチョウ
下妻神社の大欅(約1.2km) 稲田恋しの大銀杏(約1.5km)
●撮影年月日 2016年7月12日




光明寺
親鸞の弟子明空創設の寺です。常陸国で親鸞が初めて布教した寺として信仰を集め、親鸞所縁の品々が残っています。

住 所 茨城県下妻市下妻乙350
交 通 関東鉄道常総線「下妻駅」より約390m
光明寺MAP
●茨城県下妻市
※(1988) | 実測 | ||
樹高 | 14m | ||
幹周 | 4.6m | 4.9m | |
推定樹齢 |
●周辺巨樹 明空御手植の柊 光明寺のイチョウ
下妻神社の大欅(約1.2km) 稲田恋しの大銀杏(約1.5km)
●撮影年月日 2016年7月12日




光明寺
親鸞の弟子明空創設の寺です。常陸国で親鸞が初めて布教した寺として信仰を集め、親鸞所縁の品々が残っています。

住 所 茨城県下妻市下妻乙350
交 通 関東鉄道常総線「下妻駅」より約390m
光明寺MAP
明空御手植の柊
巨樹ではないですが、鎌倉時代に明空が植えたと伝わるヒイラギの古木です。明空は、親鸞の弟子となった後に光明寺を創設しました。明空はヒイラギを好んで境内に多く植えたので、寺は「柊道場」とも呼ばれたそうです。
●茨城県下妻市
●下妻市指定天然記念物
●周辺巨樹 光明寺のケヤキ 光明寺のイチョウ
下妻神社の大欅(約1.2km) 稲田恋しの大銀杏(約1.5km)
●撮影年月日 2016年6月12日

左側の石塔には明空の句が刻まれています。
『われもまた心に造る罪科を 名にあらわして 植うる一本』


ヒイラギといえば節分の飾りに使う棘のある葉ですが、何とこのヒイラギの葉は丸っこいです。柊は棘のある葉は若木のもので、老木になると棘のない葉になるそうです。

光明寺の門外には、ヒイラギと同じ市指定天然記念物の「親鸞御手植の菩提樹」も立っています。
こちらも推定樹齢700年以上だそうです。


光明寺
親鸞の弟子明空創設の寺です。常陸国で親鸞が初めて布教した寺として信仰を集め、親鸞所縁の品々が残っています。

住 所 茨城県下妻市下妻乙350
交 通 関東鉄道常総線「下妻駅」より約390m
光明寺MAP
●茨城県下妻市
●下妻市指定天然記念物
案内板 | |||
樹高 | 5.87m | ||
幹周 | 2.9m | ||
推定樹齢 | 700年以上 |
●周辺巨樹 光明寺のケヤキ 光明寺のイチョウ
下妻神社の大欅(約1.2km) 稲田恋しの大銀杏(約1.5km)
●撮影年月日 2016年6月12日

左側の石塔には明空の句が刻まれています。
『われもまた心に造る罪科を 名にあらわして 植うる一本』


ヒイラギといえば節分の飾りに使う棘のある葉ですが、何とこのヒイラギの葉は丸っこいです。柊は棘のある葉は若木のもので、老木になると棘のない葉になるそうです。

光明寺の門外には、ヒイラギと同じ市指定天然記念物の「親鸞御手植の菩提樹」も立っています。
こちらも推定樹齢700年以上だそうです。


光明寺
親鸞の弟子明空創設の寺です。常陸国で親鸞が初めて布教した寺として信仰を集め、親鸞所縁の品々が残っています。

住 所 茨城県下妻市下妻乙350
交 通 関東鉄道常総線「下妻駅」より約390m
光明寺MAP
澳津説(おきつせ)神社のシイ
神社の境内をいくら探しても大きなシイが見当たりませんで、社務所で伺ったら、神社から2分ほど歩いた道路を隔てた神社敷地(神社の北西の信号を右)にありました。道路側から見た幹は大きく空洞化していましたが、枝葉は生きいきとして元気でした。
●茨城県日立市
●日立市指定天然記念物
※環境省 巨樹・巨木林データベース
※※『巨木学』(宮誠而 2015)
●撮影年月日 2015年3月29日

道路側から見た幹は、空洞化していました。


幹の一部が、こぶのように大きく盛り上がっていました。

シイのそばにミツマタの木があり、花を咲かせていました。

木の場所を伺いに社務所に行ったら、転がりまわって歓迎してくれたネコ。

澳津説神社
天文13年(1544)、京都伏見稲荷神社の分霊が西町の権現山へ勧請されたのが始まりです。 万治元年(1658)に 現在の地に移転し、明治16年(1883)に現在の「澳津説神社」の名になりました。周囲の開発が進む中で、鬱蒼と繁る社叢が残っています。
住 所 茨城県日立市日高町2-3-1 澳津説神社
交 通 JR常磐線「小木津駅」東口より約500m
澳津説神社MAP
●茨城県日立市
●日立市指定天然記念物
※(2008) | ※※ | ||
樹高 | 20m | 25m | |
幹周 | 7.2m | 7.1m | |
推定樹齢 |
※※『巨木学』(宮誠而 2015)
●撮影年月日 2015年3月29日

道路側から見た幹は、空洞化していました。


幹の一部が、こぶのように大きく盛り上がっていました。

シイのそばにミツマタの木があり、花を咲かせていました。

木の場所を伺いに社務所に行ったら、転がりまわって歓迎してくれたネコ。

澳津説神社
天文13年(1544)、京都伏見稲荷神社の分霊が西町の権現山へ勧請されたのが始まりです。 万治元年(1658)に 現在の地に移転し、明治16年(1883)に現在の「澳津説神社」の名になりました。周囲の開発が進む中で、鬱蒼と繁る社叢が残っています。
住 所 茨城県日立市日高町2-3-1 澳津説神社
交 通 JR常磐線「小木津駅」東口より約500m
澳津説神社MAP
艫(とも)神社の杉
拝殿の両側に御神木の2本の大杉が立っていますが、向かって右側の杉は上半分が欠けています。昭和20年生まれの方のお話によると、自分が生まれる前にはすでに折れていたそうで、強風被害によるものではないかということでした。
●茨城県日立市
●樹高約20m 幹周約5.3m 樹齢推定700年
●撮影年月日 2015年3月29日




杉の前にアセビが植えられていて、小さい花がたくさん咲いていました。

艫(とも)神社
『十王町史』によると、永和2年(1376)には「友宮」と呼ばれ存在していたそうです。艫神社HPによると、中世に近隣一帯を治めていた矢田部山直氏の「山直日記」に神社創建の記述があるそうです。現在の川尻町国井の浜辺に一像を乗せた艘の船が漂着しました。住人達が矢田部山直氏にその像を献上したところ「鹿島の神の乗っていた船」として城内にそれを安置し守護神とし、現在地船見山に神社を建立し領内の総鎮守としたそうです。
艫神社は、地域との共鳴共存、蘇生循環型共生社会、植物を大切にしていて、神社に隣接してバラ園や、苗木や蘇生グッズ等販売のショップも開いています。

住 所 茨城県日立市十王町友部東4-1-2 艫神社
交 通 JR常磐線「十王駅」徒歩4分
艫神社MAP
●茨城県日立市
●樹高約20m 幹周約5.3m 樹齢推定700年
●撮影年月日 2015年3月29日




杉の前にアセビが植えられていて、小さい花がたくさん咲いていました。

艫(とも)神社
『十王町史』によると、永和2年(1376)には「友宮」と呼ばれ存在していたそうです。艫神社HPによると、中世に近隣一帯を治めていた矢田部山直氏の「山直日記」に神社創建の記述があるそうです。現在の川尻町国井の浜辺に一像を乗せた艘の船が漂着しました。住人達が矢田部山直氏にその像を献上したところ「鹿島の神の乗っていた船」として城内にそれを安置し守護神とし、現在地船見山に神社を建立し領内の総鎮守としたそうです。
艫神社は、地域との共鳴共存、蘇生循環型共生社会、植物を大切にしていて、神社に隣接してバラ園や、苗木や蘇生グッズ等販売のショップも開いています。

住 所 茨城県日立市十王町友部東4-1-2 艫神社
交 通 JR常磐線「十王駅」徒歩4分
艫神社MAP
愛宕神社のシイ
境内に入って見渡しても大木がなく、社殿後方の広い社叢を道なりにずっと進むと見えてきました。社叢はじに舗装道路に面して立っていました。
幹は時の長さを刻むような重層感がありますが、根元の方からは新しい枝葉が元気に伸びていました。
案内板によると、シイの東側は、水戸から岩沼(宮城県岩沼市)に至る江戸時代に岩城相馬街道と呼ばれた道があり、行き交う旅人を見つめ続けていた大木ということです。
●茨城県日立市
●日立市指定天然記念物
※環境省 巨樹・巨木林データベース
●撮影年月日 2015年3月29日




愛宕神社
祭神は、火を掌る神「軻遇突智命(かぐつちのみこと)」で、火伏祭も行われています。『十王町史』によると、本宮は京都愛宕山といわれ、元亀3年(1572)、愛宕山から尊像が奉持し、友部の沢小屋に遷宮されましたが、霊験あらたかなため山尾城内に奉祀された後、天正元年(1573)に現在の地が選定されたそうです。

住 所 茨城県日立市十王町伊師2951
交 通 JR常磐線「十王駅」より約2.5km
愛宕神社MAP
幹は時の長さを刻むような重層感がありますが、根元の方からは新しい枝葉が元気に伸びていました。
案内板によると、シイの東側は、水戸から岩沼(宮城県岩沼市)に至る江戸時代に岩城相馬街道と呼ばれた道があり、行き交う旅人を見つめ続けていた大木ということです。
●茨城県日立市
●日立市指定天然記念物
※(2000) | |||
樹高 | 20m | ||
幹周 | 5.4m | ||
推定樹齢 |
●撮影年月日 2015年3月29日




愛宕神社
祭神は、火を掌る神「軻遇突智命(かぐつちのみこと)」で、火伏祭も行われています。『十王町史』によると、本宮は京都愛宕山といわれ、元亀3年(1572)、愛宕山から尊像が奉持し、友部の沢小屋に遷宮されましたが、霊験あらたかなため山尾城内に奉祀された後、天正元年(1573)に現在の地が選定されたそうです。

住 所 茨城県日立市十王町伊師2951
交 通 JR常磐線「十王駅」より約2.5km
愛宕神社MAP
東漸寺のボダイジュ
ボダイジュの原産地は中国です。お釈迦様が悟りを開いたのがボダイジュの下だったことから、寺院に多く植えられています。推定樹齢500年ということですが、いかにも古木らしいゴツゴツした幹の根元から細かな枝が沢山出ていて、枝もしっかり伸びて、成長を続けている様が見てとれました。
●茨城県古河市
●茨城県指定天然記念物
※古河市HP「歴史・文化財」
●撮影年月日 2015年3月15日



ボダイジュの実が残っていました。

根元からひこばえがたくさん出ていました。

東漸寺
真言宗豊山派の寺で、 猿島阪東観音第八番霊場です。
記念碑によると、文治5年(1189)覚法上人の開基。延宝6年(1678)の町の大火により全焼、復興後の300年余りを補改修を重ねてきましたが、老朽化のため昭和59年(1984)に本堂が建立されました。

住 所 茨城県古河市仁連126 東漸寺
交 通 東北本線「古河駅」よりジェイアールバス「大網行き」「松本行き」乗車
「山田十字路」下車北方向へ約1.2km
古河駅東口にレンタサイクルもあります
東漸寺MAP
●茨城県古河市
●茨城県指定天然記念物
案内板 | ※ | ||
樹高 | 14m | ||
幹周 | 2.5m | ||
推定樹齢 | 500年 | 500年 |
●撮影年月日 2015年3月15日



ボダイジュの実が残っていました。

根元からひこばえがたくさん出ていました。

東漸寺
真言宗豊山派の寺で、 猿島阪東観音第八番霊場です。
記念碑によると、文治5年(1189)覚法上人の開基。延宝6年(1678)の町の大火により全焼、復興後の300年余りを補改修を重ねてきましたが、老朽化のため昭和59年(1984)に本堂が建立されました。

住 所 茨城県古河市仁連126 東漸寺
交 通 東北本線「古河駅」よりジェイアールバス「大網行き」「松本行き」乗車
「山田十字路」下車北方向へ約1.2km
古河駅東口にレンタサイクルもあります
東漸寺MAP
恩名のイチイガシ
イチイガシは個人宅の裏庭に立っていました。樹のそばに案内板があるのでそれと分かりましたが、小さい門があるものの開けることができず、道路から撮っていましたら、ちょうど家の方がやってこられ、表門から入らせていただきました。
明治5年(1872)の台風で幹の一部が倒れましたが、裂けた部分が勢いを盛り返して盤状になっています。以前は周囲に高い木が多かったため日当たりが悪くイチイガシは元気が無かったそうですが、伐採して日当たりをよくしたら、元気になってきたそうです。
●茨城県古河市
●茨城県指定天然記念物
※環境省 巨樹・巨木林データベース(2000)
※※『茨城の文化財』第31集
●撮影年月日 2015年3月15日





イチイガシのすぐそばには、御当主のお母様作の句が彫られた石碑。「一いの木」とあったので、この木のことかと思いましたが、この地の小字が「一の木」だそうです。

住 所 茨城県古河市恩名2347
交 通 東北本線「古河駅」よりジェイアールバス「松本行き」乗車「恩名」下車
または「大網行き」乗車終点下車約2.3km
古河駅東口にレンタサイクルもあります
恩名のイチイガシMAP
明治5年(1872)の台風で幹の一部が倒れましたが、裂けた部分が勢いを盛り返して盤状になっています。以前は周囲に高い木が多かったため日当たりが悪くイチイガシは元気が無かったそうですが、伐採して日当たりをよくしたら、元気になってきたそうです。
●茨城県古河市
●茨城県指定天然記念物
※ | ※※ | ||
樹高 | 11m | 約11m | |
幹周 | 3.9m | 約3.5m | |
推定樹齢 | 300年以上 | 約500年 |
※※『茨城の文化財』第31集
●撮影年月日 2015年3月15日





イチイガシのすぐそばには、御当主のお母様作の句が彫られた石碑。「一いの木」とあったので、この木のことかと思いましたが、この地の小字が「一の木」だそうです。

住 所 茨城県古河市恩名2347
交 通 東北本線「古河駅」よりジェイアールバス「松本行き」乗車「恩名」下車
または「大網行き」乗車終点下車約2.3km
古河駅東口にレンタサイクルもあります
恩名のイチイガシMAP
小蓋宮(こぶたのみや)の大ケヤキ
駅に近い住宅街にあるとは思えない、遠くからでもよく分かる大ケヤキが鎮座しています。大ケヤキのそばに小さな稲荷神社があります。敷地内には神社の他石のベンチもありちょっとした憩いの場に。いつ使われるのか、ケヤキに向けて投光機も設置されています。
「古河通史」によると、昔は畑が広がり、畑の中心地に農業の神様である稲荷神が祀られていて、社の目印としてケヤキが植えられたと伝わっています。この辺りは蛇が多く、大ケヤキの空洞にも白蛇が住んでいたとの言い伝えもあります。
●茨城県古河市
●古河市指定天然記念物
※環境省 巨樹・巨木林データベース
●周辺巨樹 雀神社の大欅(約1.7km)
●撮影年月日 2015年3月15日


市政40周年の平成2年に神社が再建されました。

やたら存在感あるホウキ3本と、絶対に何か住んでいそうな穴。

上部にはカエデが着生していました。

小蓋宮
「小蓋」は、雹(ひょう)害を防ぐために田畑に蓋をするという意味があり、稲荷神を祀り春の半ばに雹除祈祷を行ったということです。
住 所 茨城県古河市東3-4 古河簡易裁判所の西側
交 通 東北本線「古河駅」より約500m
小蓋宮の大ケヤキMAP
「古河通史」によると、昔は畑が広がり、畑の中心地に農業の神様である稲荷神が祀られていて、社の目印としてケヤキが植えられたと伝わっています。この辺りは蛇が多く、大ケヤキの空洞にも白蛇が住んでいたとの言い伝えもあります。
●茨城県古河市
●古河市指定天然記念物
案内板(2007) | ※ | ||
樹高 | 31.2m | 30m | |
幹周 | 7.3m | 8.5m | |
推定樹齢 | 600年 |
●周辺巨樹 雀神社の大欅(約1.7km)
●撮影年月日 2015年3月15日


市政40周年の平成2年に神社が再建されました。

やたら存在感あるホウキ3本と、絶対に何か住んでいそうな穴。

上部にはカエデが着生していました。

小蓋宮
「小蓋」は、雹(ひょう)害を防ぐために田畑に蓋をするという意味があり、稲荷神を祀り春の半ばに雹除祈祷を行ったということです。
住 所 茨城県古河市東3-4 古河簡易裁判所の西側
交 通 東北本線「古河駅」より約500m
小蓋宮の大ケヤキMAP
御岩神社の三本杉
御岩神社のある華毘礼山(かびれいさん)は、山全体が神域ということで、参道を一歩入ると空気感が違います。巨樹の並ぶ参道を歩いて楼門の手前の右側にひと際高くそびえ立っていました。地上3m位から三幹に分かれていずれも天に向かって真っすぐ伸びている様は、御神域の樹にふさわしい姿でした。
●茨城県日立市
●茨城県指定天然記念物 森の巨人たち100選
※環境省 巨樹・巨木林データベース
●撮影年月日 2014年11月24日


三叉になった部分に天狗が住んで、村人たちを驚かせたという伝承もあります。


自然豊かな神社です。切り株の上にしっかり生えた木。命の流れを感じます。

神域なので、多くの石碑や切り株などには小石が積まれています。自然に宿る神に思いを託す。



/
御岩神社
創建は不明ですが、発掘品などから奈良時代には神社として祭祀を営んでいたそうです。日本最古の地方誌である「常陸国風土記」(721)にも、太古よりこの霊山に天の神が静まり「加び禮の宮」として多くの人々の篤い信仰を集めていたことも記されているそうです。 江戸時代には水戸藩の出羽三山として水戸領は勿論、遠く江戸・上総・下総からも参拝者が多くありました。
神仏習合により境内には二十一の神社寺院があり寺町と呼ばれ、門前町である入四間宿を御町とよぶ大きな霊地を形成していましたが、明治維新の神仏分離で、大日堂観音堂、念仏堂鐘楼、大仁王門等すべてが取り払われました。が、現在も境内の遺跡や祭りなどに他の神社と違った名残りが残っています。

住 所 茨城県日立市入四間町752
交 通 JR常磐線「日立駅」中央口よりバス1番乗場「東河内(ひがしごうど)」
行乗車「御岩神社前」下車
御岩神社MAP
●茨城県日立市
●茨城県指定天然記念物 森の巨人たち100選
案内板 | ※(2009) | ||
樹高 | 39m | 35m | |
幹周 | 8.4m | 8.2m | |
推定樹齢 | 500年以上 |
●撮影年月日 2014年11月24日


三叉になった部分に天狗が住んで、村人たちを驚かせたという伝承もあります。


自然豊かな神社です。切り株の上にしっかり生えた木。命の流れを感じます。

神域なので、多くの石碑や切り株などには小石が積まれています。自然に宿る神に思いを託す。




御岩神社
創建は不明ですが、発掘品などから奈良時代には神社として祭祀を営んでいたそうです。日本最古の地方誌である「常陸国風土記」(721)にも、太古よりこの霊山に天の神が静まり「加び禮の宮」として多くの人々の篤い信仰を集めていたことも記されているそうです。 江戸時代には水戸藩の出羽三山として水戸領は勿論、遠く江戸・上総・下総からも参拝者が多くありました。
神仏習合により境内には二十一の神社寺院があり寺町と呼ばれ、門前町である入四間宿を御町とよぶ大きな霊地を形成していましたが、明治維新の神仏分離で、大日堂観音堂、念仏堂鐘楼、大仁王門等すべてが取り払われました。が、現在も境内の遺跡や祭りなどに他の神社と違った名残りが残っています。

住 所 茨城県日立市入四間町752
交 通 JR常磐線「日立駅」中央口よりバス1番乗場「東河内(ひがしごうど)」
行乗車「御岩神社前」下車
御岩神社MAP
本山の一本杉
県道の真ん中に、立派な注連縄が回された1本の御神木が立っています。自動車の走行安全の守り神にもなっているこの木の所有者は日立鉱山㈱で、鉱山開発の御神木としても大切に保護されてきました。
●茨城県日立市
●日立市指定天然記念物
※『日立市の文化財』(日立市教育委員会 1999)
※※環境省 巨樹・巨木林データベース
●撮影年月日 2014年11月24日

日立市発行『日立市の文化財』の「日立鉱山山神社物語」に一本杉の説明があります。かつてこの地は杉の大樹が林立していましたが、枯れや伐採のため明治中頃には3本だけになってしまいました。大事に保護されてきましたが、明治35年(1902)9月の大暴風雨により2本が倒れ、1本だけとなってしまいました。昭和42年(1967)の産業道路の改良工事で、一本杉は伐採されようとしましたが、関係者の配慮で道路中央に残ったということです。

一本杉は、大正から昭和にかけての道路改修の度に土盛りされた結果、2m近くかさ上げされて見かけ上の根元が高くなり、本来の姿からは短縮された形になっているそうです。



日立鉱山
元は赤澤銅山と呼ばれていた小鉱山でしたが、明治38年(1905)に、日立鉱山がこの地に開業し、日本有数の銅山に成長しました。現在は鉱山跡地に「日鉱記念館」が建っています。
赤澤不動尊
一本杉から600mほど離れたところに赤澤不動尊があります。日立鉱山㈱が鉱山の安全保護の守り本尊として管理しています。
案内板によると、古く山岳信仰の盛んな頃、修験者が不動滝で難行苦行したことに始まり、江戸時代末期に赤澤銅山が開発がなされた頃には、この不動尊があり崇拝されていたそうです。日立銅山が開業した明治38年(1905)、滝壷で古い不動明王石像が発見され、御堂を建立してその像を安置したそうです。

住 所 茨城県日立市宮田町3585付近
交 通 JR常磐線「日立駅」中央口よりバス1番乗場「東河内(ひがしごうど)」
行乗車「一本杉」下車
本山の一本杉MAP(指定位置より南へ約100m)
●茨城県日立市
●日立市指定天然記念物
※ | ※※(2005) | ||
樹高 | 34m | 25m | |
幹周 | 4.4m | 4.2m | |
推定樹齢 | 450年 |
※※環境省 巨樹・巨木林データベース
●撮影年月日 2014年11月24日

日立市発行『日立市の文化財』の「日立鉱山山神社物語」に一本杉の説明があります。かつてこの地は杉の大樹が林立していましたが、枯れや伐採のため明治中頃には3本だけになってしまいました。大事に保護されてきましたが、明治35年(1902)9月の大暴風雨により2本が倒れ、1本だけとなってしまいました。昭和42年(1967)の産業道路の改良工事で、一本杉は伐採されようとしましたが、関係者の配慮で道路中央に残ったということです。

一本杉は、大正から昭和にかけての道路改修の度に土盛りされた結果、2m近くかさ上げされて見かけ上の根元が高くなり、本来の姿からは短縮された形になっているそうです。



日立鉱山
元は赤澤銅山と呼ばれていた小鉱山でしたが、明治38年(1905)に、日立鉱山がこの地に開業し、日本有数の銅山に成長しました。現在は鉱山跡地に「日鉱記念館」が建っています。
赤澤不動尊
一本杉から600mほど離れたところに赤澤不動尊があります。日立鉱山㈱が鉱山の安全保護の守り本尊として管理しています。
案内板によると、古く山岳信仰の盛んな頃、修験者が不動滝で難行苦行したことに始まり、江戸時代末期に赤澤銅山が開発がなされた頃には、この不動尊があり崇拝されていたそうです。日立銅山が開業した明治38年(1905)、滝壷で古い不動明王石像が発見され、御堂を建立してその像を安置したそうです。

住 所 茨城県日立市宮田町3585付近
交 通 JR常磐線「日立駅」中央口よりバス1番乗場「東河内(ひがしごうど)」
行乗車「一本杉」下車
本山の一本杉MAP(指定位置より南へ約100m)
平和町のイチョウ
日立駅中央口のバス停ベンチに座りました。そうしたら目線の先で大きな銀杏が枝葉を広げているではありませんか。バスが来るまで30分待ちでしたので、何てありがたいことかといそいそと写真を撮りに行きました。どの方向から見てもサマになっていました。
●茨城県日立市
●日立市保存樹
※『日立市の保存樹一覧』(日立市役所都市計画課 2000)
●撮影年月日 2014年11月24日


ロータリー内にあるので、イチョウのすぐそばにもバス停があり、イチョウを囲むような形でベンチもありました。こんな大きな木の下でバスを待つのも風情がありそうです。


住 所 茨城県日立市幸町1-4
交 通 JR常磐線「日立駅」中央口1分
日立駅前MAP
●茨城県日立市
●日立市保存樹
※ | |||
樹高 | 16.5m | ||
幹周 | 2.96m | ||
推定樹齢 |
●撮影年月日 2014年11月24日


ロータリー内にあるので、イチョウのすぐそばにもバス停があり、イチョウを囲むような形でベンチもありました。こんな大きな木の下でバスを待つのも風情がありそうです。


住 所 茨城県日立市幸町1-4
交 通 JR常磐線「日立駅」中央口1分
日立駅前MAP
安良川(あらかわ)の爺スギ
安良川八幡宮の社殿左奥に立っています。静かな境内ですが、巨樹があると更に静かで厳かな空気感が感じられます。
樹高が40mもありますが、落雷が原因で衰退したために先端部を10m程切ったそうです。なので以前は50mもの高さがあったようです。現在は倒木を防ぐために上部がワイヤーで固定されています。
●茨城県高萩市
●国指定天然記念物
※環境省 巨樹・巨木林データベース
※※『巨木学』(宮誠而 2015)
●撮影年月日 2014年11月24日




安良川八幡宮
安良川の産土神で、御祭神は応神天皇・日女大神・神功皇后の三柱です。創建は寛和元年(985)、男山八幡宮(京都石清水八幡宮)の分霊をこの地に移し勧請したのが始りとされています。
「高萩の観光10選 安良川八幡宮の森」となっていて、樹齢70~80年のスギやヒノキが多くあります。

住 所 茨城県高萩市安良川1180 安良川八幡宮
交 通 JR常磐線「高萩駅」より徒歩約20分
安良川八幡宮MAP
樹高が40mもありますが、落雷が原因で衰退したために先端部を10m程切ったそうです。なので以前は50mもの高さがあったようです。現在は倒木を防ぐために上部がワイヤーで固定されています。
●茨城県高萩市
●国指定天然記念物
案内板(1991) | ※(1998) | ※※ | |
樹高 | 40m | 35m | 35m |
幹周 | 10m | 9.91m | M10.25m(1.3m 2007) |
推定樹齢 | 1000年 | 300年以上 |
※※『巨木学』(宮誠而 2015)
●撮影年月日 2014年11月24日




安良川八幡宮
安良川の産土神で、御祭神は応神天皇・日女大神・神功皇后の三柱です。創建は寛和元年(985)、男山八幡宮(京都石清水八幡宮)の分霊をこの地に移し勧請したのが始りとされています。
「高萩の観光10選 安良川八幡宮の森」となっていて、樹齢70~80年のスギやヒノキが多くあります。

住 所 茨城県高萩市安良川1180 安良川八幡宮
交 通 JR常磐線「高萩駅」より徒歩約20分
安良川八幡宮MAP
板橋不動尊のケヤキ
境内には巨木が何本かありますが、ひと際目をひく巨樹です。
境内にあると思って行きましたが、ケヤキは本殿右側境内の外にあり、境内からではケヤキの下部が見えません。不動尊の外に出て小道を行くとそびえ立っていました。見上げると、どこまで伸びてるか分からない樹高、どっしりした根は、巨樹の威厳たっぷりでした。誰か人が通ってくれると巨樹の大きさが比較できて分かりやすかったのですが。
●茨城県つくばみらい市
※環境省 巨樹・巨木林データベース
●撮影年月日 2014年9月15日



境内から見ると下部が見えません。

板橋不動尊
関東三大不動尊の一つです。正式には「清安山願成寺不動院」ですが、「板橋のお不動さん」「板橋不動尊」として古くから信仰を集めています。本尊不動明は、国指定重要文化財、三重塔・本堂・楼門は茨城県指定有形文化財、仁王像はつくばみらい市指定有形文化財になっています。
板橋不動尊HPの不動院の由来より
「不動院縁起によると、開創約1200年の歴史をもつ、加持祈祷の道場です。
大同年間(806~809)弘法大師空海、諸国行脚の折り、錫(しゃく)を御聖塚(ごじょうつか)にとどめ、一刀三礼の古式に則って自ら彫刻なされたのが、本尊不動明王(現在は国指定重要文化財)です。 二間四面の草堂を営み、求子安産を祈られこの本尊を安置されたのが当院の開基と伝えられています。」


住 所 茨城県つくばみらい市板橋2370 板橋不動尊
交 通 つくばEX「みらい平」下車徒歩約30分
または、つくばEX・関東鉄道常総線「守谷駅」下車 バス東口2番
乗場「緑ヶ丘団地行」乗車 「不動尊前」下車
板橋不動尊MAP
境内にあると思って行きましたが、ケヤキは本殿右側境内の外にあり、境内からではケヤキの下部が見えません。不動尊の外に出て小道を行くとそびえ立っていました。見上げると、どこまで伸びてるか分からない樹高、どっしりした根は、巨樹の威厳たっぷりでした。誰か人が通ってくれると巨樹の大きさが比較できて分かりやすかったのですが。
●茨城県つくばみらい市
※(1998) | |||
樹高 | 15m | ||
幹周 | 5.87m | ||
推定樹齢 |
●撮影年月日 2014年9月15日



境内から見ると下部が見えません。

板橋不動尊
関東三大不動尊の一つです。正式には「清安山願成寺不動院」ですが、「板橋のお不動さん」「板橋不動尊」として古くから信仰を集めています。本尊不動明は、国指定重要文化財、三重塔・本堂・楼門は茨城県指定有形文化財、仁王像はつくばみらい市指定有形文化財になっています。
板橋不動尊HPの不動院の由来より
「不動院縁起によると、開創約1200年の歴史をもつ、加持祈祷の道場です。
大同年間(806~809)弘法大師空海、諸国行脚の折り、錫(しゃく)を御聖塚(ごじょうつか)にとどめ、一刀三礼の古式に則って自ら彫刻なされたのが、本尊不動明王(現在は国指定重要文化財)です。 二間四面の草堂を営み、求子安産を祈られこの本尊を安置されたのが当院の開基と伝えられています。」


住 所 茨城県つくばみらい市板橋2370 板橋不動尊
交 通 つくばEX「みらい平」下車徒歩約30分
または、つくばEX・関東鉄道常総線「守谷駅」下車 バス東口2番
乗場「緑ヶ丘団地行」乗車 「不動尊前」下車
板橋不動尊MAP
北山道祖神のケヤキ
角度によっては2本の木が生えているような面白い形をしています。が、ちゃんとつながっていて、大きな穴を囲むような形です。穴があるのは朽ちたわけでなく、かつてはその部分にクロマツが生えていたのだそうです。それが枯れて、包んでいた幹だけが残ったということです。
●茨城県つくばみらい市
※(2010) | |||
樹高 | 15m | ||
幹周 | 6.2m | ||
推定樹齢 |
●樹高約24m 幹周約7.6m 樹齢推定500年
●撮影年月日 2014年9月15日





「何やってんだ?この人間・・・」という感じで、お腹の大きいネコがこちらを観察していました。

小さい道祖神社と供にあります。

住 所 茨城県つくばみらい市北山 152-2
交 通 つくばEX「みどりの」下車 徒歩約40分
北山道祖神のケヤキ
雀神社の大欅
雀神社の御神木で、市内最高のケヤキです。元来2本あった木が合体したもので「夫婦欅」とも呼ばれています。
煙草の不始末とみられる出火で木の一部が焼かれてしまい、平成7年から樹勢回復作業を行いましたが、回復は困難で、強化繊維プラスチックにより被覆して腐朽進行を防いでいます。
道路から見ると、2本に分かれた幹の低い方は明らかに色が違い人工的で違和感がありましたが、敷地内に入ってよく見ていると、木の凸凹を損なわず覆われているので、木の一部になっている感がありました。どういう形であれ夫婦のように一緒に生きているのだなと思いました。
●茨城県古河市
●古河市指定天然記念物
※環境省 巨樹・巨木林データベース(2007)
●周辺巨樹 小蓋宮の大ケヤキ(約1.7km)
●撮影年月日 2014年5月4日



入口を挟んで立っている欅も立派です。

雀神社
案内板によると「創立は明らかでない。伝承によれば、貞観年間(859~876)に出雲大社から勧請したものだという。その社名については、鎮宮が転化して雀宮になったという。」

住 所 茨城県古河市宮前町4-52 雀神社
交 通 JR東北本線「古河駅」より徒歩約20分
東武日光線「新古河駅」より徒歩約25分
雀神社MAP
煙草の不始末とみられる出火で木の一部が焼かれてしまい、平成7年から樹勢回復作業を行いましたが、回復は困難で、強化繊維プラスチックにより被覆して腐朽進行を防いでいます。
道路から見ると、2本に分かれた幹の低い方は明らかに色が違い人工的で違和感がありましたが、敷地内に入ってよく見ていると、木の凸凹を損なわず覆われているので、木の一部になっている感がありました。どういう形であれ夫婦のように一緒に生きているのだなと思いました。
●茨城県古河市
●古河市指定天然記念物
案内板(1976) | ※ | ||
樹高 | 25m | 20m | |
幹周 | 8.8m | 8.8m | |
推定樹齢 |
●周辺巨樹 小蓋宮の大ケヤキ(約1.7km)
●撮影年月日 2014年5月4日



入口を挟んで立っている欅も立派です。

雀神社
案内板によると「創立は明らかでない。伝承によれば、貞観年間(859~876)に出雲大社から勧請したものだという。その社名については、鎮宮が転化して雀宮になったという。」

住 所 茨城県古河市宮前町4-52 雀神社
交 通 JR東北本線「古河駅」より徒歩約20分
東武日光線「新古河駅」より徒歩約25分
雀神社MAP
雷電神社(古河市)の椎
同じ境内の欅と共に市の名木古木指定になっている椎です。広く生い茂る葉の下でスラリとした伸びた幹は細く見えてしまいますが、かなり太いです。
●茨城県古河市
●古河市名木古木指定
●樹高15.70m 幹周3.45m 樹齢推定190年
●撮影年月日 2014年5月4日



雷電神社
創建は不詳です。寛永10年(1633)、古河城主の土井利勝公が築城に際して、城外鬼門にあたる場所に在り雹雷除けの祈祷をしていたこの神社を、城の鬼門除けとして祀ったということです。

住 所 茨城県古河市雷電7-35 雷電神社
交 通 JR東北本線「古河駅」より徒歩10分
雷電神社(古河)MAP
●茨城県古河市
●古河市名木古木指定
●樹高15.70m 幹周3.45m 樹齢推定190年
●撮影年月日 2014年5月4日



雷電神社
創建は不詳です。寛永10年(1633)、古河城主の土井利勝公が築城に際して、城外鬼門にあたる場所に在り雹雷除けの祈祷をしていたこの神社を、城の鬼門除けとして祀ったということです。

住 所 茨城県古河市雷電7-35 雷電神社
交 通 JR東北本線「古河駅」より徒歩10分
雷電神社(古河)MAP
雷電神社(古河市)の欅
栃木市大平町の「雷電神社の椎」の後、茨城県古河市に行き図書館を目指していましたら、何と雷電町という町名になり雷電神社がありました。何気に立ち寄ると鳥居のそばにはスラリとまっすぐ伸びたスマートな巨樹欅が迎えていました。車の多い通りに面していますが、樹勢のある良い木です。境内にはやはり名木古木指定の椎もあり、得した気分で写真を撮りました。
●茨城県古河市
●古河市名木古木指定
●樹高20m 幹周4.3m 樹齢推定180年
●撮影年月日 2014年5月4日




左が欅、右が椎です。

雷電神社
創建は不詳です。寛永10年(1633)、古河城主の土井利勝公が築城に際して、城外鬼門にあたる場所に在り雹雷除けの祈祷をしていたこの神社を、城の鬼門除けとして祀ったということです。

住 所 茨城県古河市雷電7-35 雷電神社
交 通 JR東北本線「古河駅」より徒歩10分
雷電神社(古河)MAP
●茨城県古河市
●古河市名木古木指定
●樹高20m 幹周4.3m 樹齢推定180年
●撮影年月日 2014年5月4日




左が欅、右が椎です。

雷電神社
創建は不詳です。寛永10年(1633)、古河城主の土井利勝公が築城に際して、城外鬼門にあたる場所に在り雹雷除けの祈祷をしていたこの神社を、城の鬼門除けとして祀ったということです。

住 所 茨城県古河市雷電7-35 雷電神社
交 通 JR東北本線「古河駅」より徒歩10分
雷電神社(古河)MAP
空禅寺のイタジイ
空禅寺から少し離れた台地の上にありました。 幹は地上0.52mのところで大きく二つに分かれていますが、木を見る方角によっては、円形の形良い樹幹を持つ1本の木の様に見えたりもします。
●茨城県土浦市
●土浦市指定名木古木
※環境省 巨樹・巨木林データベース
●撮影年月日 2014年1月9日




幹の二股の所には庚申様の祠。


空禅寺
寺伝によると、開創は正中2年(1325)で、土浦市で唯一の時宗のお寺です。
土浦市指定文化財の六地蔵石幢や石造五輪塔群があります。
住所 茨城県土浦市手野町2015
交通 JR常磐線「土浦駅」西口よりバス6番乗場 霞ヶ浦広域バス(土浦駅―玉
造駅)乗車「上大津西小学校前」下車徒歩約20分。
空禅寺イタジイMAP
●茨城県土浦市
●土浦市指定名木古木
案内板 | ※(2000) | ||
樹高 | 13.5m | 14m | |
幹周 | 5m+6.4m | 6.4m(主幹) 11.4m(幹周) | |
推定樹齢 |
●撮影年月日 2014年1月9日




幹の二股の所には庚申様の祠。


空禅寺
寺伝によると、開創は正中2年(1325)で、土浦市で唯一の時宗のお寺です。
土浦市指定文化財の六地蔵石幢や石造五輪塔群があります。
住所 茨城県土浦市手野町2015
交通 JR常磐線「土浦駅」西口よりバス6番乗場 霞ヶ浦広域バス(土浦駅―玉
造駅)乗車「上大津西小学校前」下車徒歩約20分。
空禅寺イタジイMAP
出島の椎
唯一昔の姿をとどめている山門の左手に椎はあります。お寺の栄枯盛衰を見てきた椎は、四方に伸びた枝葉でうっそうとした空間を作り、周囲は、弘法大師の石仏が八十八鎮座しています。
平成10年頃には、スダジイバチやカミキリムシに害され瀕死の状態にまでなったそうですが、延命対策事業が講じられた結果回復しています。
●茨城県かすみがうら市
●茨城県指定天然記念物
※環境省 巨樹・巨木林データベース(2008)
●撮影年月日 2014年1月9日







長福寺
参勤交代の際は、大名が必ず立ち寄ったという由緒ある寺でした。教育委員会の説明板によると「真言宗豊山派の寺でかつては10万石の格式を備え南大門を有し本堂は間口18間、奥行き10間、九尺の縁廻し、総けやきの荘厳な寺院だったが、度々の火災で宝篋(ほうきょう)印塔と山門、出島の椎に昔日を偲ぶばかりであります」

住所 茨城県かすみがうら市下軽部289 長福寺
交通 JR常磐線「土浦駅」西口よりバス6番乗場 霞ヶ浦広域バス(土浦駅―玉
造駅)乗車「北中入口」下車徒歩約30分。
長福寺MAP
巌島神社
長福寺の東方、田んぼのど真ん中に小島の様にあります。出会ったお爺さんが、神社の由来を色々語ってくださいました。
1800年頃、この一帯は海でした。女の神である弁天様に道祖神が惚れて追いかけまわしたので、弁天様は湿地帯の真ん中にあるこの場所に逃げ込み、道祖神は足が悪いので渡って来れず諦めたとのこと。なので巌島神社の神は弁天様で、田んぼの守護神となったということです。

巌島神社MAP
平成10年頃には、スダジイバチやカミキリムシに害され瀕死の状態にまでなったそうですが、延命対策事業が講じられた結果回復しています。
●茨城県かすみがうら市
●茨城県指定天然記念物
案内板 | ※ | ||
樹高 | 15m | 15m | |
幹周 | 7m | 7m | |
推定樹齢 | 700年 |
●撮影年月日 2014年1月9日







長福寺
参勤交代の際は、大名が必ず立ち寄ったという由緒ある寺でした。教育委員会の説明板によると「真言宗豊山派の寺でかつては10万石の格式を備え南大門を有し本堂は間口18間、奥行き10間、九尺の縁廻し、総けやきの荘厳な寺院だったが、度々の火災で宝篋(ほうきょう)印塔と山門、出島の椎に昔日を偲ぶばかりであります」

住所 茨城県かすみがうら市下軽部289 長福寺
交通 JR常磐線「土浦駅」西口よりバス6番乗場 霞ヶ浦広域バス(土浦駅―玉
造駅)乗車「北中入口」下車徒歩約30分。
長福寺MAP
巌島神社
長福寺の東方、田んぼのど真ん中に小島の様にあります。出会ったお爺さんが、神社の由来を色々語ってくださいました。
1800年頃、この一帯は海でした。女の神である弁天様に道祖神が惚れて追いかけまわしたので、弁天様は湿地帯の真ん中にあるこの場所に逃げ込み、道祖神は足が悪いので渡って来れず諦めたとのこと。なので巌島神社の神は弁天様で、田んぼの守護神となったということです。

巌島神社MAP
柏崎素鵞(そが)神社のケヤキ
オガタマを目的に行きましたが、境内を入ると右手に見事なケヤキの巨木。木の間に小さい祠があり、その上には葉が生い茂って、屋根の様にして祠を守っているかのような優しさ、幹は一つ目妖怪を思わせる少々不気味さと、大きく伸びた枝と力強くうねった根には生きざまを見る思いで、とても個性的な木でした。
●茨城県かすみがうら市
●周辺巨樹 柏崎素鵞(そが)神社のオガタマの木
●撮影年月日 2014年1月9日





素鵞神社
弘仁9年(818)1月に天王山上に創建。その後山崩れのため大破、元和5年(1619)3月に再建遷宮、万治2年(1659)山麓に遷座されました。
市指定文化財の柏崎素鵞神社絵馬は、明治28年に奉納されたもので、素鵞神社竹切り祇園の祭事が細かく描写されています。

住所 茨城県かすみがうら市柏崎1590番
交通 JR常磐線「土浦駅」西口よりバス6番乗場 霞ヶ浦広域バス(土浦駅―玉
造駅)乗車「田伏十字路」下車徒歩約40分。
素鵞神社MAP
●茨城県かすみがうら市
●周辺巨樹 柏崎素鵞(そが)神社のオガタマの木
●撮影年月日 2014年1月9日





素鵞神社
弘仁9年(818)1月に天王山上に創建。その後山崩れのため大破、元和5年(1619)3月に再建遷宮、万治2年(1659)山麓に遷座されました。
市指定文化財の柏崎素鵞神社絵馬は、明治28年に奉納されたもので、素鵞神社竹切り祇園の祭事が細かく描写されています。

住所 茨城県かすみがうら市柏崎1590番
交通 JR常磐線「土浦駅」西口よりバス6番乗場 霞ヶ浦広域バス(土浦駅―玉
造駅)乗車「田伏十字路」下車徒歩約40分。
素鵞神社MAP
柏崎素鵞(そが)神社のオガタマの木
説明板は「オガタマ」ですが、タブノキです。「オガタマ」は招霊(おぎたま)が由来だそうで、天照大神が天岩戸に隠れた時に、踊る天鈿女命が手に持っていたといういわれもあり、神事に用いられてきました。またタブノキも、霊(たま)が宿る木「たまのき」が「たぶのき」となったと伝えられています。
●茨城県かすみがうら市
●出島村合併35周年記念 名木・巨木・珍木選定
※茨城県HP「茨城の名木・巨樹」
●周辺巨樹 柏崎素鵞(そが)神社のケヤキ
●撮影年月日 2014年1月9日



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柏崎素鵞神社
弘仁9年(818)1月に天王山上に創建。その後山崩れのため大破、元和5年(1619)3月に再建遷宮、万治2年(1659)山麓に遷座されました。
市指定文化財の柏崎素鵞神社絵馬は、明治28年に奉納されたもので、素鵞神社竹切り祇園の祭事が細かく描写されています。


住所 茨城県かすみがうら市柏崎1590
交通 JR常磐線「土浦駅」西口よりバス6番乗場 霞ヶ浦広域バス(土浦駅―玉
造駅)乗車「田伏十字路」下車徒歩約40分。
素鵞神社MAP
次の目的地「出島の椎」へは菱木川沿いを歩きました。

●茨城県かすみがうら市
●出島村合併35周年記念 名木・巨木・珍木選定
※ | |||
樹高 | 20m | ||
幹周 | 4.1m | ||
推定樹齢 | 400年 |
●周辺巨樹 柏崎素鵞(そが)神社のケヤキ
●撮影年月日 2014年1月9日




柏崎素鵞神社
弘仁9年(818)1月に天王山上に創建。その後山崩れのため大破、元和5年(1619)3月に再建遷宮、万治2年(1659)山麓に遷座されました。
市指定文化財の柏崎素鵞神社絵馬は、明治28年に奉納されたもので、素鵞神社竹切り祇園の祭事が細かく描写されています。


住所 茨城県かすみがうら市柏崎1590
交通 JR常磐線「土浦駅」西口よりバス6番乗場 霞ヶ浦広域バス(土浦駅―玉
造駅)乗車「田伏十字路」下車徒歩約40分。
素鵞神社MAP
次の目的地「出島の椎」へは菱木川沿いを歩きました。

得月院のカヤ
老木らしい幹模様をしています。平成4年(1992)3月の大雪で大枝が折れ、過去の腐朽箇所と共に外科手術を行ったそうです。
牛久沼の河童の絵で知られ、得月院と深い関わりがあった日本画家の小川芋銭(うせん)は、このカヤをモチーフにした作品「樹下石人談」を描きました。
●茨城県牛久市
●牛久市指定天然記念物 牛久市市民の木
※環境省 巨樹・巨木林データベース(2008年調査)
●撮影年月日 2013年10月12日

カヤの実がいっぱい落ちていました。食用にもなり良質の食用油もとれるとか。



得月院
牛久城城主・由良国繁の母・妙印尼(みょういんに)の菩提寺として慶長元年(1596)に開山。明治35年の暴風雨で本堂が倒れ庫裡を移転して本堂に改築、大正2年には本堂のわらぶき屋根に花火が落ちて伽藍が全焼、現在の本堂は大正11年に再建されました。
境内には日本画家・小川芋銭の墓もあります。
住 所 茨城県牛久市城中町258
交 通 JR常磐線「牛久駅」徒歩30分
得月院MAP
牛久沼の河童の絵で知られ、得月院と深い関わりがあった日本画家の小川芋銭(うせん)は、このカヤをモチーフにした作品「樹下石人談」を描きました。
●茨城県牛久市
●牛久市指定天然記念物 牛久市市民の木
案内板 | ※ | ||
樹高 | 20m | 20m | |
幹周 | 5m | 5.3m | |
推定樹齢 | 500年 |
●撮影年月日 2013年10月12日

カヤの実がいっぱい落ちていました。食用にもなり良質の食用油もとれるとか。



得月院
牛久城城主・由良国繁の母・妙印尼(みょういんに)の菩提寺として慶長元年(1596)に開山。明治35年の暴風雨で本堂が倒れ庫裡を移転して本堂に改築、大正2年には本堂のわらぶき屋根に花火が落ちて伽藍が全焼、現在の本堂は大正11年に再建されました。
境内には日本画家・小川芋銭の墓もあります。
住 所 茨城県牛久市城中町258
交 通 JR常磐線「牛久駅」徒歩30分
得月院MAP
亀城(きじょう)のシイ
土浦城のあった場所が公園になっていて、二の丸土塁上にシイがあります。すぐそばにベンチや遊具があり、親子連れが遊んでいたり、高年男性方が集っていたり、身近な憩いの場にこんなに大きい迫力ある木があるのが、何とも良い感じでした。
大きい枝が分かれているので、色々な角度から写真を撮れて面白かったです。
●茨城県土浦市
●茨城県指定天然記念物
※環境省 巨樹・巨木林データベース
●撮影年月日 2013年10月12日





亀城公園
かつての土浦城があったところで、築城は室町時代の永享年間(1429~40)とされています。
本丸が平屋だったので、堀に囲まれた城の姿が水に浮かぶ亀に見えたことから、別名「亀城」と呼ばれたそうです。

住 所 茨城県土浦市中央1丁目
交 通 JR常磐線「土浦駅」徒歩15分
亀城公園MAP
大きい枝が分かれているので、色々な角度から写真を撮れて面白かったです。
●茨城県土浦市
●茨城県指定天然記念物
案内板(1996) | ※ | ||
樹高 | 16m | 15m | |
幹周 | 7m | 6.2m | |
推定樹齢 | 500年 |
●撮影年月日 2013年10月12日





亀城公園
かつての土浦城があったところで、築城は室町時代の永享年間(1429~40)とされています。
本丸が平屋だったので、堀に囲まれた城の姿が水に浮かぶ亀に見えたことから、別名「亀城」と呼ばれたそうです。

住 所 茨城県土浦市中央1丁目
交 通 JR常磐線「土浦駅」徒歩15分
亀城公園MAP
雨引観音の宿椎(やどしい)
異形の姿で玉垣から乗り出すように立っています。狭い敷地内にあり、椎の裏手には回れないのが残念でした。
「宿椎」という名は、室町時代の文明4年(1472)に寺が火災に遭った時、御本尊がここに避難して仮の宿にしたことから呼ばれることになったそうです。
●茨城県桜川市
●桜川市指定天然記念物
※環境省 巨樹・巨木林データベース
※※『巨木学』(宮誠而 2015)
●撮影年月日 2013年6月29日




旧参道
雨引観音へ行く途中、旧参道にぶつかりました。雨引観音への近道になっています。450m程で長い距離ではありませんが、苔むし、御神木、石仏の数々で時がゆったり流れるような空間でした。

「龍杉(玉体杉)」の孫杉です。案内板によると「聖武天皇の天平年間、当山では光明皇后の安産祈願をした折り、奈良の皇后を指向するこの杉を目標にして、祈祷したと伝えられている」とのことです。


石仏も至る所にありました。


雨引観音(雨引山楽法寺)
用明天皇2年(587年)の開山といわれている安産祈願のお寺です。延命観世音菩薩(国指定重要文化財)を御本尊として、坂東観音霊場第二十四番札所になっています。
桜・牡丹・つつじ・アジサイ・紅葉などが楽しめる寺としても有名です。



住 所 茨城県桜川市本木1 雨引観音(雨引山楽法寺 )
交 通 JR水戸線「岩瀬駅」より約6km
(徒歩約1時間半・タクシー約10分)
雨引観音(雨引山楽法寺)MAP
「宿椎」という名は、室町時代の文明4年(1472)に寺が火災に遭った時、御本尊がここに避難して仮の宿にしたことから呼ばれることになったそうです。
●茨城県桜川市
●桜川市指定天然記念物
※(2008) | ※※ | ||
樹高 | 15m | 15m | |
幹周 | 7.5m | M8.22m(1.3m 2015) | |
推定樹齢 |
※※『巨木学』(宮誠而 2015)
●撮影年月日 2013年6月29日




旧参道
雨引観音へ行く途中、旧参道にぶつかりました。雨引観音への近道になっています。450m程で長い距離ではありませんが、苔むし、御神木、石仏の数々で時がゆったり流れるような空間でした。

「龍杉(玉体杉)」の孫杉です。案内板によると「聖武天皇の天平年間、当山では光明皇后の安産祈願をした折り、奈良の皇后を指向するこの杉を目標にして、祈祷したと伝えられている」とのことです。


石仏も至る所にありました。




雨引観音(雨引山楽法寺)
用明天皇2年(587年)の開山といわれている安産祈願のお寺です。延命観世音菩薩(国指定重要文化財)を御本尊として、坂東観音霊場第二十四番札所になっています。
桜・牡丹・つつじ・アジサイ・紅葉などが楽しめる寺としても有名です。



住 所 茨城県桜川市本木1 雨引観音(雨引山楽法寺 )
交 通 JR水戸線「岩瀬駅」より約6km
(徒歩約1時間半・タクシー約10分)
雨引観音(雨引山楽法寺)MAP
波崎の大タブ
大きなこぶと四方に伸びた大枝が特徴的です。木を向いて囲むようにお地蔵様が並んでいて、語り合っているようです。花も供えられ、信仰の篤さが伺われます。
お墓参りに来られた地元の高年女性が色々なお話をして下さいました。安政の地震で、この一帯も津波に襲われて、波が引いてこの木の根っこがあらわになったという伝承や、昔はこの木はクスと呼ばれていたけれど、実はタブだったこと、ここは砂地なので、タブは良く育ち多く生えていること、昔は社殿も草葺きで縁の下が高くて、子ども時代はその下でかくれんぼ等して遊んだことなど。地元の人から昔のことを色々聞けるのはありがたいことです。
案内板によると、江戸時代野火が押し寄せ、この樹によって難を免れたと言伝えられ、それより火伏の護摩をたき、家内安全の祈願をする習わしがあるそうです。
●茨城県神栖市
●茨城県指定天然記念物
※環境省 巨樹・巨木林データベース(2009)
●撮影年月日 2013年1月13日





神善寺
天喜4年(1056年)後冷泉天皇の時代に建立されました。朱塗りの釈迦堂は神栖市指定文化財になっています。


住 所 茨城県神栖市波崎3355
交 通 JR成田線「銚子駅」下車 駅構内レンタサイクル利用約30分
神善寺MAP
お墓参りに来られた地元の高年女性が色々なお話をして下さいました。安政の地震で、この一帯も津波に襲われて、波が引いてこの木の根っこがあらわになったという伝承や、昔はこの木はクスと呼ばれていたけれど、実はタブだったこと、ここは砂地なので、タブは良く育ち多く生えていること、昔は社殿も草葺きで縁の下が高くて、子ども時代はその下でかくれんぼ等して遊んだことなど。地元の人から昔のことを色々聞けるのはありがたいことです。
案内板によると、江戸時代野火が押し寄せ、この樹によって難を免れたと言伝えられ、それより火伏の護摩をたき、家内安全の祈願をする習わしがあるそうです。
●茨城県神栖市
●茨城県指定天然記念物
案内板(1990) | ※ | ||
樹高 | 15m | 15m | |
幹周 | 8.1m | 8.2m | |
推定樹齢 | 約千年余 |
●撮影年月日 2013年1月13日





神善寺
天喜4年(1056年)後冷泉天皇の時代に建立されました。朱塗りの釈迦堂は神栖市指定文化財になっています。


住 所 茨城県神栖市波崎3355
交 通 JR成田線「銚子駅」下車 駅構内レンタサイクル利用約30分
神善寺MAP
八柱神社のケヤキ
社殿の右奥の境内の真ん中に立っています。主幹は真っ二つに分かれ中は空洞化していますが、多くはない枝は元気に伸びています。長い年月の中、大きな痛手を受けながらも上へ上へと生き続ける姿が生命の本質を表しているようです。
●市指定天然記念物
※『巨木学』(宮誠而 2015)
●撮影年月日 2012年5月24日





八柱神社
寛平2年(890)の創建。金剛院という真言密教の寺院でしたが、明治初期の神仏分離で廃寺に。その後地元の八神を合祀して八柱神社となったそうです。本殿は天明5年(1785)に建築されたもので、県指定文化財。精巧な彫刻で飾られています。

住 所 茨城県桜川市真壁町塙世968
交 通 JR水戸線下館駅から関鉄パープルバス「真壁駅行き」乗車。「塙世」下車すぐ
八柱神社のケヤキMAP
●市指定天然記念物
※ | |||
樹高 | 20m | ||
幹周 | 8.8m | ||
推定樹齢 |
●撮影年月日 2012年5月24日





八柱神社
寛平2年(890)の創建。金剛院という真言密教の寺院でしたが、明治初期の神仏分離で廃寺に。その後地元の八神を合祀して八柱神社となったそうです。本殿は天明5年(1785)に建築されたもので、県指定文化財。精巧な彫刻で飾られています。


住 所 茨城県桜川市真壁町塙世968
交 通 JR水戸線下館駅から関鉄パープルバス「真壁駅行き」乗車。「塙世」下車すぐ
八柱神社のケヤキMAP
筑波山神社の大杉
まっすぐ伸びた貫禄十分な大杉です。筑波山神社と筑波観光鉄道では、2012年5月、御幸ヶ原から男女川源流までの新ルート開通記念に大杉の名称を公募していました。新たな名称で親しまれていくことでしょう。
●茨城県つくば市
※環境省 巨樹・巨木林データベース
※※『巨木学』(宮誠而 2015)
●周辺巨樹 大御堂のスダジイ(約250m)
●撮影年月日 2011年6月21日


後方にある店の創業は明治の後期だそうで、こちらにも歴史を感じます。


筑波山神社
男体山、女体山からなる筑波山を御神体と仰ぐ筑波山神社は、筑波男大神(イザナギノミコト)と筑波山女大神(イザナミノミコト)を祀っています。日本神話によれば、この二神が結婚し国生みをしたことから、筑波山は縁結び、夫婦和合、子授け信仰があります。

住 所 茨城県つくば市筑波1番地
交 通 つくばエクスプレス「つくば」駅より筑波山シャトルバスで40分
「筑波山神社入口」下車徒歩10分
筑波山神社MAP
●茨城県つくば市
案内板 | ※(2010) | ※※ | |
樹高 | 32m | 25m | 37m |
幹周 | 9.8m | 8m | mM9.83m(1.3m 2015) |
推定樹齢 | 約800年 |
※※『巨木学』(宮誠而 2015)
●周辺巨樹 大御堂のスダジイ(約250m)
●撮影年月日 2011年6月21日


後方にある店の創業は明治の後期だそうで、こちらにも歴史を感じます。


筑波山神社
男体山、女体山からなる筑波山を御神体と仰ぐ筑波山神社は、筑波男大神(イザナギノミコト)と筑波山女大神(イザナミノミコト)を祀っています。日本神話によれば、この二神が結婚し国生みをしたことから、筑波山は縁結び、夫婦和合、子授け信仰があります。


住 所 茨城県つくば市筑波1番地
交 通 つくばエクスプレス「つくば」駅より筑波山シャトルバスで40分
「筑波山神社入口」下車徒歩10分
筑波山神社MAP
大御堂(おおみどう)のスダジイ
筑波山大御堂の左手駐車場側にそびえたっています。離れて見ると枝の広がりも美しく堂々とし、近くで見ると両手を広げて叫んでいるような存在感。天然記念物に指定されていないのが不思議なくらいでした。どの角度からみても形も良くて離れがたい樹でした。
●茨城県つくば市
※『巨木学』(宮誠而 2015)
●周辺巨樹 筑波山神社の大杉(約250m)
●撮影年月日 2012年5月24日






後方にもスダジイの巨樹が2本そびえています

筑波山大御堂
坂東札所第25番。開創は延暦元年(782年)。東京都文京区大塚にある 真言宗豊山派大本山護国寺別院です。

住 所 茨城県つくば市筑波748
交 通 つくばエクスプレス「つくば」から筑波山シャトルバスで「筑波山神社
入口」下車徒歩5分
筑波山大御堂MAP
●茨城県つくば市
※ | |||
樹高 | 20m | ||
幹周 | M7.65M(1.3m 2015) | ||
推定樹齢 |
●周辺巨樹 筑波山神社の大杉(約250m)
●撮影年月日 2012年5月24日






後方にもスダジイの巨樹が2本そびえています

筑波山大御堂
坂東札所第25番。開創は延暦元年(782年)。東京都文京区大塚にある 真言宗豊山派大本山護国寺別院です。

住 所 茨城県つくば市筑波748
交 通 つくばエクスプレス「つくば」から筑波山シャトルバスで「筑波山神社
入口」下車徒歩5分
筑波山大御堂MAP
地蔵ケヤキ
茨城県最大のケヤキ。370年ほど前の火災により幹の根元からかなりの高さの空洞ができたといわれています。幹の大きな空洞や樹木治療を受けながらも、葉が生い茂り生命力を感じさせてくれます。空洞内には子育て地蔵が安置されています。
●県指定天然記念物・新日本名木百選
※環境省 巨樹・巨木林データベース
※※『巨木学』(宮誠而 2015)
●撮影年月日 2012年5月24日


一角に開いている丸い穴を通り抜ければ安産間違いなしといわれていたそうです。現在は穴くぐりはできません。


脇にも巨樹が並んでいますが、かなり傷んでいます。
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高源寺
将門が釈迦如来の霊験によって建立したと伝えられています。

住 所 茨城県取手市下高井1306
交 通 関東鉄道常総線「稲戸井」「ゆめみ野」徒歩30分
高源寺 地蔵ケヤキMAP
香取八坂神社
高源寺の近く。参道が気に入って寄ってみました。

●県指定天然記念物・新日本名木百選
案内板 | ※(2000) | ※※ | |
樹高 | 15m | 18m | 18m |
幹周 | 10m | 9.8m | M9.75m(1.3m 2015) |
推定樹齢 | 1600年 |
※※『巨木学』(宮誠而 2015)
●撮影年月日 2012年5月24日


一角に開いている丸い穴を通り抜ければ安産間違いなしといわれていたそうです。現在は穴くぐりはできません。


脇にも巨樹が並んでいますが、かなり傷んでいます。

高源寺
将門が釈迦如来の霊験によって建立したと伝えられています。


住 所 茨城県取手市下高井1306
交 通 関東鉄道常総線「稲戸井」「ゆめみ野」徒歩30分
高源寺 地蔵ケヤキMAP
香取八坂神社
高源寺の近く。参道が気に入って寄ってみました。


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